搜尋結果
善珠 (ぜんしゅ・ぜんじゅ、 養老 7年( 723年 ) - 延暦 16年 4月21日 ( 797年 5月25日 ))は、 奈良時代 から 平安時代 前期にかけての 僧 。. 俗姓は 阿刀氏 で、 玄昉 の子とする史書もある [1] が、善珠の生まれた723年当時玄昉は 遣唐使 として唐に ...
僧璨 (そうさん、生年不詳(推定500年~505年頃) - 大業 2年 10月15日 ( 606年 11月20日 ))は、 中国 禅宗 の三祖。 「璨」とは、「美しい珠」、「光り輝く宝玉(宝石)」のことである。 唐 の 玄宗 により 鑒智禅師 の 諡 を賜った。 略歴. 『 五灯会元 』の一つ、『 景徳伝灯録 』第三巻に「 三祖僧璨大師悟道因縁 」と呼ばれる物語が伝わっている。 東魏 の 天平 2年( 535年 )に当時、 居士 で重い疾病を患っていた僧璨が第二祖 慧可 と相まみえ会話を交えた。 そして、ついに 悟り に至った。 その後すぐに、光福寺で具足戒を受け、それ以後、彼の疾病はことごとく良くなり、ともに祖師( 達磨 )に二年間あまり仕えた、という物語である。
概要. 日本では古くは禅行と呼ばれる山林修行を行った僧に対する敬称として広く用いられ、僧医として治療活動を行う者に対しても与えられた。. 道鏡 に与えられた「太政大臣禅師」もこれにあたる。. 禅僧の称号としての禅師号は 諡号 として ...
禅宗 (ぜんしゅう, Zen Buddhism)は、 中国 において発達した、 禅那 (ぜんな)に至る真の教えを説くとする 大乗仏教 の一宗派。. 南インド 出身で 中国 に渡った 達磨 僧(ボーディダルマ)を祖とし、 坐禅 (座禅)を基本的な 修行 形態とする ...
峨山韶碩 (がさん じょうせき、 建治 元年( 1275年 )- 正平 21年/ 貞治 5年 10月20日 ( 1366年 11月23日 ))は、 鎌倉時代 後期から 南北朝時代 にかけての 曹洞宗 の僧。 能登国 の出身。 總持寺 第2世。 大現宗猷國師。 略歴. 能登国 羽咋郡 瓜生田(現在の 石川県 河北郡 津幡町 字瓜生)に生まれた [1] 。 16歳の時 比叡山 で出家し、 円宗 に師事して 天台教学 を学んだ。 一説には 白山 修験道 の 行者 であったともいう。 永仁 5年( 1297年 )、上洛途中の 瑩山紹瑾 に出会う [1] 。 正安 元年( 1299年 )、 加賀国 大乗寺 の瑩山のもとを訪れ、正安3年( 1301年 )大悟して瑩山禅師にそれを認められた [1] 。
本圀寺 (ほんこくじ)は、 京都市 山科区 御陵大岩にある 日蓮宗 の 大本山 (霊跡寺院)の 寺院 。 山号 は大光山。 本尊 は 三宝尊 。 六条門流の祖山である。 歴史. 中世. 寺伝によれば、 建長 5年( 1253年 )8月に 日蓮 が 鎌倉 松葉ヶ谷 に建立した法華堂が本国寺(後の本圀寺)の起源という [1] 。 なお、松葉ヶ谷の草庵(法華堂)の所在地については複数の説がある。 日蓮が 伊豆国 伊東(現・ 静岡県 伊東市 )への配流( 伊豆法難 )から戻った後、 弘長 3年( 1263年 )5月に法華堂は再興され、本国土妙寺と改称された [1] 。 寺では日蓮を高祖、弟子の 日朗 を二祖と位置づけている。 嘉暦 3年( 1328年 )に、 後醍醐天皇 の 勅願所 となっている。
五台山(ごだいさん)は、中華人民共和国 山西省 忻州市 五台県にある古くからの霊山である。 標高3,058m。仏教では、文殊菩薩の聖地として、古くから信仰を集めている。 旧字表記では五臺山。別名は清涼山。2009年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。