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  1. 2022年11月28日 · 観光ビジネスと自然保護を両立させる「サステナブル・ツーリズム」の取組(後編). 熊本県の阿蘇地域では、「千年草原」とも呼ばれる広大な草原が、野焼きや牛馬の放牧など、人の手が加わることで長きにわたって維持されてきました。. 自然 ...

  2. 香港市場マーケティング方針. 香港市場における訪日マーケティング戦略を公開しています。 皆様のインバウンドにおけるお取り組みにご活用ください。 香港事務所の基礎情報や担当地域、業務内容などについてご紹介しています。 訪日インバウンド市場別情報. 東アジア. 韓国市場 中国市場 台湾市場 香港市場. 東南アジア・南アジア. タイ市場 シンガポール市場 マレーシア市場 インドネシア市場 フィリピン市場 ベトナム市場 インド市場. オセアニア. 豪州市場. 北米. 米国市場 カナダ市場 メキシコ市場. 欧州. 英国市場 フランス市場 ドイツ市場 イタリア市場 スペイン市場 北欧地域市場 ロシア市場. 中東.

    • 農泊事業の推進へ向けて地域全体の協力を得る
    • 地域の方々の協力でたどり着いた、約70年前の醤油製法
    • 祖父の言葉・精神を行動の指針として、地域の魅力を模索し続ける

    —奈良県田原本町の土地柄と、川東地域資源活用協議会を起ち上げた経緯を教えてください。

    「田原本町は奈良盆地のちょうど中央に位置しています。環濠を何重にも巡らせたとても大きな弥生時代の集落遺跡の唐古・鍵遺跡があります。約2000年前の大集落があったということは、この土地で十分な食料の調達ができたということで、稲作を中心とした農業が非常に盛んだったと考えられています。現代までその流れは変わらず、田原本町は県内でも農業に携わっている人の割合が高く、その中でも川東地域は大和川がつくった肥沃な大地が広がり、三輪そうめんの産地としても知られています。醤油の原料となる良質な大豆と小麦が採れることもあり、約330年前にマルト醤油もこの地に創業しました。こうした昔ながらの食文化の“色”が残っている場所、それが田原本町の川東地域です。 ただ高齢化に伴い、代々大切に受け継がれてきた農地が耕作放棄地となることも増え、2000年前から連綿と続く資源が失われていく危機感が私には募っていました。大切なまちの文化を次世代に残したい、どうしたら魅力を感じて継承してもらえるかと考えて、川東地域資源活用協議会を起ち上げました。メンバーとして地元からは農家さんや自治会の方々と、稲作の神様を祀る村屋神社が...

    —宿泊施設をつくることに対して、周囲はどのような反応だったのでしょうか?

    「私見ですが、奈良の人は他地域よりも保守的ではないかと思います。特に人の出入りが少ない農村部のような地域では、価値観を変えるのは非常に難しい。醤油蔵を再興して宿泊施設をつくり、お客様を誘致したいということに、村の自治会の承認を得るまでに3年の月日がかかりました。 1年目に自治会で『醤油蔵元屋敷を復活させ宿泊施設にして地域にお客様を呼び、地域の資源を継承していけるようにしたい。そのために協議会を起ち上げ、村の魅力をここから発信したい』と話したところ、最初は『なにを言うんだろう』と興味津々といった雰囲気だったのですが、最後には『やめてくれ』と反対の声が大多数を占めていきました。 理由はとてもシンプル。『今のこの静かな環境を壊さないでくれ』『このまま静かに暮らさせてくれ』ということでした。お客様の車が狭い集落に乗り入れてきたりするでしょうし、立場を替えてみれば、そういう意見があるのもわかります。私もまずは、これが皆さんの率直な意見だと受け止めました」

    —大反対にあわれたわけですが、その後どのように自治会を説得されたのでしょうか?

    「2年目に自治会長さんに『改めて皆様にまた話をしたいので時間をとってくださいませんか』とお願いしました。『去年あれだけ言われて、今年もまた同じことを言うだなんてえらいことになるんじゃないか? それでもまだ言うつもりなのか?』と言われましたが、『それでも言いたい、これは地域にとっても大切なことだと思う。昨年は“こういうことをしたい”という決意表明をしただけなので、なぜしたいのか、どういった想いなのかまでは伝えきれていません。今回はそれを伝えたいので、時間をとってほしい』とお話ししました。 発言する前は『去年、決したはずのことをまた言うのか』というムード。そこで私はこう訴えました。『私は今この土地にいますが、他の同級生たちは東京・大阪などの都市部に住んでいます。私たちの次の世代に、この土地を守ってくれる人たちはいるのでしょうか。今のこの環境というのは、皆さんが祖先たちから受け継ぎ、この農地を大切に守ってきたからこそあるのであり、そのうえに私たちは暮らしているのだと思います。本当に皆さんの努力の賜物だと思います。ただ、これがもう少ししたら維持できなくなる時期が訪れるのではないでしょうか...

    —醤油蔵元の再興を考えるきっかけは何だったのでしょうか?

    「1689年に創業したマルト醤油ですが、私の祖父の代の1949年頃に、約260年にわたる歴史に幕をおろして閉業しました。理由は第二次世界大戦です。戦争による食糧難で、醤油の原料である大豆や小麦は食糧として食べることが優先され、醤油を作ることが困難になったからです。化学物質を代替として使い操業を続けようとする意見もあったようですが、祖父は、地元の農産物を使い、蔵についた酵母菌で発酵させる天然醸造にこだわり、蔵をたたむことを決意しました。260年という長く続いた家業の火を消すことは相当の覚悟を持った決断だっただろうことは想像に難くありません。 私は幼い頃から祖父と長い時間を過ごしてきましたが、醤油を作っていた話を祖父から一切聞くことはありませんでした。家にどんな歴史があったのかは叔母たちから聞いた話です。 祖父が亡くなり、遺品の整理をしていた時のことです。祖父がとても大切にしていた古い箪笥の引き出しに、マルトのマークが染められた前掛けがきれいにたたんでしまわれているのを見つけました。その佇まいや、私が箪笥を触ると怒られた記憶などから、祖父の想いがひしひしと伝わってきました。 『マルト...

    —醤油づくりをやめて約70年もの年月が経ち、蔵人もいない状態で醤油蔵の再興はかなり難しかったのではないかと思いますが、ご苦労はどれほどのものだったのでしょうか?

    「敷地内にある蔵から1000点以上に及ぶ古文書が見つかりました。しかし、くずし字で書かれた古文書はとてもとても読み解くことができません。古くから人が住む、歴史の長いまちではこうした古文書が見つかることはよくありますが、その大半は廃棄されてしまっています。 これに危機感を抱いたまちが、古文書を読む市民講座を開催していました。そこに5年間通い、なんとか800点ほどの古文書を読むことができました。醤油の製法がどこかに書かれていないか期待していたのですが、残念ながらどこにも見あたりません。醤油の製法は杜氏(とうじ)から蔵人に、現場の作業の中で口伝されるものだったからなのでしょう。 しかし、ただひとつ、蔵人が書いた日記がありました。マメな人だったのでしょう。中には、製法とまではいかないのですが、醸造のヒントになりそうなワードが散見されました。そこで、現在醸造を行っているところを訪ねて解読を試みました。しかし今は使わない言葉のようで、詳細をつかむことはできませんでした。 そこで私は考えました。『醤油を作っていた時代を知る人に話を聞きに行こう』。80〜90代の方々を一人ひとり訪ね、『何でもいい...

    —さまざまな事柄にねばり強く取り組む木村さんですが、その原動力はどこにあるのでしょうか?

    「蔵で古文書が大量に見つかった当時、私は大阪のアパレル会社に勤務していました。友人たちから時々『奈良のおもしろいところに連れて行ってよ』と言われることがありましたが、奈良らしいところといえば、東大寺や奈良公園の鹿などの有名どころしか思い浮かびません。住んでいても意外に奈良の良さを知らないんだなということに気づかされました。 私には、祖父からかねがね言われていた言葉があります。『人の喜ぶことをしてあげなさい』『人にちゃんと感謝しなさい』『大人になったら地域に貢献できることをしなさい』という3つです。醤油のことはまったく口にしなかった祖父でしたが、この3つの事は本当によく言っていたなと思います。その言葉がいつしか私の胸にしっかりと根を下ろしていました。 地元のことをなにも知らない自分が、みんなの喜ぶ地域貢献をするにはどうしたらいいのか。その第一歩として、まずは地域資源の生かし方を学ぶべきではないかと考え、大阪で働きながらではありましたが、観光ビジネス講座を受講することにしました」

    —『大人になったら地域に貢献することをしなさい』という言葉に導かれたんですね。

    「それだけではなく、『人の喜ぶことをしてあげなさい』『人にちゃんと感謝しなさい』という言葉も含めて、三位一体なのだと思います。この3つの精神がなければ、農泊の起ち上げや、地域を絡めた協議会の設立はとてもできたものではなかったと思いますし、この3つの言葉があったからこそ、3年かかっても自治会の方々に理解を求めようと思えたと言えます。 土地には人それぞれの営みがあり、それが魅力ともなりますが、なにかをするにあたっては、互いの立場に立って物事を考えなければ、何事もうまく進めることはできません。祖父の3つの言葉・精神を行動の指針としながら、他の地域にはないこの地域の魅力を模索し続けました。 そこで気づいたのが、醤油醸造というのは、地域の農家さんたちがいるからこそできるものだということ。祖父が醤油醸造をやめざるを得なかったのは、この地で採れる原材料が手に入らなくなったからです。ということは、醤油蔵を復活させることができれば、この地ならではの農村の持つ魅力を象徴することになるのではないかと思い至ったのです」 (後編)はこちらから マルト醤油18代目当主 木村浩幸 1976年生まれ、田原本町で...

  3. 2022年9月8日 · 「日本の農村×観光」は、大きなポテンシャルを秘めている 価格競争ではなく、企画とサービスで付加価値を高める 地域のブランド力を高め、海外のFIT客を呼び込む グリーンツーリズム事業における最大の顧客は「地元の農家」 ―はじめに、大田原ツーリズムが「グリーンツーリズム」に取り組み始めたきっかけについて教えてください。 根底にあったのは、「農村地域を活性化したい」という思いです。 美しい自然と、そこに暮らす人々の豊かな営み……。 日本の農村が持つ可能性については、2012年に大田原ツーリズムを設立する以前から想いがありました。 国内・海外を問わず、ファミリー層の旅行者にとって、子どもに自然体験、農業体験をさせたいというニーズは間違いなくあるのです。

  4. 2022年12月23日 · JNTO認定外国人観光案内所シンポジウム開催レポート. インバウンドの再開にあたり、観光案内所の役割や魅力を多くの人に知ってもらおうと、2022年11月10日、JNTO主催によるシンポジウムをオンラインにて開催しました。. ネットであらゆる情報を検索できる ...

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  5. 2024年2月16日 · 日本の新しい観光資源をアピールする等活発な商談が行われました。 目次. 日本最大級のB to Bインバウンド商談会を4年ぶりに完全リアル開催 2025大阪・関西万博に向けた機運醸成の取り組み 海外バイヤー約200人が西日本の観光資源を視察するファムトリップに参加. VJTM & VJMM は、1996年から開催している国内最大級のインバウンド商談会です。 2019年に大阪で開催して以降、2020年は開催中止、2021年はオンライン開催、2022年は東京でオンラインとリアルのハイブリッド開催となりましたが、2023年は4年ぶりにインテックス大阪にて完全リアルで開催することができました。 そのため、会場内の随所で参加者同士が久々の再会を喜ぶ声が聞こえ、熱のこもった商談が行われました。

  6. 2024年1月9日 · ATWS2023で明らかになった日本のATの魅力や、さらなる発展に向けた課題や展望について、日本のAT黎明期から普及啓発活動を続けてきたAdventure Travel Trade Association (ATTA) Business manager, Asiaの國谷裕紀さんにお話を伺いました。 目次. 日本のATは北海道から全国へ拡大 高い評価を得たATWS2023で明らかになった日本の魅力 柔軟にカスタマイズしたATTAプログラムで各地をレベルアップ 中長期で見据えたAT人材育成を、若手の活躍にも期待. ―はじめに、國谷さんの AT との出会いや日本の AT 黎明期について教えてください。

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