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  1. 2019年1月4日 · 2019年01月04日. 私たちの人生の3分の1は、睡眠時間が占めている。 ヒトはなぜ眠らなければならないのか? 睡眠には一体どういう意味があるのか? そのメカニズムには、まだ解明されていない部分が相当ある。 2019年の幕開け。 睡眠科学者たちはどんな初夢を見て、睡眠の秘密が解き明かされる未来を描いたことだろう。 眠りのメカニズムは未解明だ....

    • 時代の急変で変わった辞典の単語の語義説明
    • 権力者が民衆を支配だけではないファシズム
    • 民意を正確に映したヒトラーの政権獲得
    • 世界経済恐慌を背景にナチ党が大躍進はたす
    • 大統領緊急命令を使い安定多数獲得を目指す
    • 政府への「全権委任」で憲法や基本的人権蹂躙
    • 国民の「自発性」を目指し言論・報道と文化を統制

    この日付が端的に示しているように、ペクルンの辞典は刊行と同時に歴史の激浪の中に投げ出されることになった。完成したのは、第1次世界大戦に敗北したドイツで1919年に成立したヴァイマル共和国時代の最終局面であり、出版されたのはこの共和国を崩壊させるヒトラー内閣が誕生した33年1月30日と、ほぼ同時だったからである。 現代語に重点を置く辞典であるがゆえに、時代の急変は中身に深刻な影響を及ぼした。同年末までに21万部を発行したのち、翌34年の増刷分からは、早くも変貌を余儀なくされる。特定の単語の語義説明を変更しなければならなくなったのだ。 例えば「国民社会主義」(National-sozialismus ナツィオナール ゾツィアリスムス)という見出し語には、刊行当初は「極度に右翼的な立場をとるドイツ...

    だが、まずここでは、ヒトラーを「独裁者」と呼ぶことに対する疑問から、出発しなければならない。ナチズムを含めたファシズムの社会体制は、独裁的な権力者と、彼による強圧的な政治によって支配される民衆―という一方的な関係では捉えきれないからである。 もともと「ファシズム」という概念は、「束たば」を意味するイタリア語の「ファッショ」(fascio)という語に由来している。「束」には、「束ねる」という他動的な意味と同時に、「結束を固める」という自発的な意味も含まれるのである。「束」は、いわば上からの強制的な束縛であるだけでなく、下からの自発性による団結でもありうるのだ。 そればかりではない。「ファッショ」という語は、古代ラテン語の「魅惑、魅了」を意味する語とも語源上の関連を持っている。「魅惑」とは、感性...

    第2次世界大戦後の戦後民主主義時代には、ドイツでも日本でも、ヒトラーを独裁者としてとらえる歴史観が一般的だった。この一人の独裁者と彼の配下のナチスが国民を誤った道に連れ込んだのであり、国民は犠牲者だったのだ―という歴史認識が、敗戦後の東西両ドイツで必要とされたからである。 だが、今では歴史の現実はそれとは別の姿を持っていること、国民の側が果たした主体的な役割が重要な意味を持つことが、多くの具体的な研究によって明らかにされている。 ごく基本的な、すでによく知られている事実に即してみても、ナチ党は、人類史上もっとも民主主義的といわれるヴァイマル憲法のもとで、選挙を通じて合法的に、ヴァイマル共和国国会の第1党となり、その結果として、ヒトラーが首相に任命されたのだった。しかも、ヴァイマル時代の国会議...

    1918年11月のドイツ革命と敗戦の中から生まれたドイツ共和国、いわゆるヴァイマル共和国は、ヒトラー政権によって終止符を打たれるまでの14年間に、合計9回の国会議員選挙を実施した。ナチ党が国会選挙に初めて党名を掲げて参加したのは、その第4回(ヴァイマル憲法制定後では第3回)、24年12月のことである。このときナチ党は3・00%の得票率で、議席総数493のうち14議席を得たに過ぎなかった。しかも、次回の28年5月の選挙では、得票率は2・63%にとどまり、議席数も491議席中の12議席に減じた。 ところが、その2年後、30年9月の選挙では、得票率18・33%で、議席総数577のうち107議席を獲得し、一挙に議会の第2党に躍進したのである。第1党は得票率24・53%で143議席の社会民主党だった(...

    首相に就任したとき、ヒトラーのナチ党は、全有権者の3分の1に足らぬ支持を受けているに過ぎなかった。国会の議席数も、ようやく3分の1に達する状態で、首相を含めて12人の閣僚から成る新内閣には、ヒトラー以外に2人のナチ党員しか入閣できなかった。そこでヒトラーは、首相就任の2日後に党利党略のためでしかない国会解散を断行したのである。選挙は3月5日と決められ、ヒトラーとナチ党は政府与党の権限を駆使して、安定多数獲得のための「方策」を実行に移した。 それらの「方策」は、しかし、当面の選挙での勝利を目指すためのものにはとどまらなかった。ヴァイマル憲法が規定した基本的人権を否定し、各人の自主性や自由よりも国家と政治権力への服従と忠誠を求める法的な措置によって、ふたたび「戦争する国」となる道を歩むための布石...

    それでも、3月5日の国会議員選挙で、ナチ党は、憲法改定に必要な3分の2以上はおろか、過半数を制することもできなかった。第1党の座は守ったものの、得票率は43・91%で、非合法化された共産党の当選者81人を含めた647の議席総数のうち、288議席を獲得しただけだった。ヒトラーはヴァイマル憲法に基づく国会議員選挙によって合法的に政権の座に就いたが、自らの政権下でのこの選挙を含め、ついに一度も過半数の支持を得たことはなかったのである。ヴァイマル憲法下での国会選挙としては最後となったこの選挙の投票率は88・74%だったから、この時点でヒトラーを支持していたのは、棄権者も加えた全有権者のうちの39%弱に過ぎなかったのだ。 ちなみにこの選挙でのナチ党の得票率を、2014年12月の日本の衆院選で示された政...

    ヒトラーは、政権獲得後わずか数年のうちに、失業を解消し、社会的平等を実現し、やる気のある者に道を開き、敗戦とヴェルサイユ体制によって失われたドイツ人としての誇りを取り戻し、生き甲斐のある社会を実現した―。 これは、ナチス・ドイツの崩壊後に多くの体験者たちが語った回想である。ヒトラーは、日常生活を活性化させるとともに、敗戦によって失われたドイツ人の誇りとアイデンティティを取り戻し、過去の歴史が誤りではなかったこと、大戦の責任がもっぱらドイツにあるわけではないことを、ドイツ人に自覚させたのだった。国民のヒトラー支持は、ドイツが39年9月に第2次世界大戦に突入するまで、うなぎ登りに上昇した。 最終的には戦争に突入して破滅に終わるこの上昇の道は、ヒトラー政府による入念な「国民の合意形成」によって舗装...

  2. 2020年5月11日 · 皆さん、国立健康・栄養研究所をご存じでしょうか?. 世界で最初に生まれた国立の栄養研究所で、今年9月に100周年を迎えます。. 初代所長は ...

  3. 2020年10月30日 · 塩原俊彦 高知大学准教授. 2020年10月30日. 「ニッポン不全」を少しでも改善するには、教育が重大であることはたしかだろう。 そうであるならば、教育を少しでも改善することで日本も少しは良くなるかもしれない。 ただし、教育を論じると、一家言をもったさまざまな人々の意見が交錯し、百家争鳴といった状況になりかねない。 ゆえに、ここでは「勉強しない大学生」という論点に絞って考察する。...

  4. 2020年7月20日 · 土谷尚嗣 豪モナシュ大学教授(神経科学). 2020年07月20日. shutterstock.com. 「意識とは何か」という問題は、有史以来、哲学的興味を引いてきた ...

  5. 2020年7月4日 · 60年前の歴史的な運動が切り拓いた成果を未来へ託すべく、後継世代にも招集がかかり、65年大学入学で70年安保世代との中間世代にあたる私も ...

  6. 2020年12月14日 · 2020年12月14日. 「 有用性という言葉を捨てて、人間の精神を開放せよ 」 これは、プリンストン高等研究所(1930年設立)の創設者であったアブラハム・フレクスナーによる1939年のエッセイにあらわれる言葉である。 高等研はアインシュタインやフォン・ノイマンら著名な科学者が在籍したことで知られ、今も最高レベルの研究者たちが教授に就いている。 このエッセイ『The Usefulness...