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  1. ja.wikipedia.org › wiki › 証道歌証道歌 - Wikipedia

    証道歌. 証道歌 (證道歌)は、247句1814文字より成るは独特の韻を踏んだ 偈頌 で、 禅宗四部録 (信心銘、証道歌、十牛図、坐禅儀)の一つ。. 作者は唐の 永嘉玄覚 大師(665~713)とされ、 禅 の 要諦 を一種の詩の形で端的に表現したものだとされる ...

  2. 仏教用語一覧(ぶっきょうようご いちらん)では、仏教の用語を、日本語にしているものを中心として一覧形式で表す。 仏教用語は、仏教発祥の地であるインドが起源であり、そこで生まれた様々な用語は中国において、「般若」「三昧」など発音に漢字を当てはめた音訳、あるいは、「識 ...

    • 建築と堂内装飾
    • 藤原4代の御神体と副葬品
    • 仏像
    • 堂内具
    • 文化財指定
    • その他
    • 参考文献
    • 関連項目
    • 外部リンク

    概要

    金色堂は、中尊寺山内のやや西寄りに東を正面として建つ、方三間(正面、側面共に柱間が3間)、平面の1辺が5.5メートルの小型の仏堂である。堂は、1965年建設の鉄筋コンクリート造の覆堂内にあり、ガラス張りのスペースに納められて外気と遮断されている。金色堂は奥州藤原氏の初代藤原清衡により建立された。棟木に天治元年(1124年)の年次と共に「大檀散位藤原清衡」「女檀 安倍氏 清原氏 平氏」が物部清国を大工として建立した旨の墨書があり、この年が建立年とされている。2006年に奈良文化財研究所は、解体修理時に取り外されていた金色堂の部材をデジタルカメラを使用した年輪年代測定法で調査した。その調査報告によれば、金色堂に使用された木材の伐採年代は1114年から16年頃とされ、上記の建立年代は科学的にも裏付けられた。奥州藤原氏滅亡直後の文治5年(1189年)、中尊寺経蔵別当心蓮が源頼朝に差し出した「寺塔已下注文」(『吾妻鏡』所収)には、当時残存していた中尊寺の堂宇が書き出されているが、その中に「金色堂 上下四壁は皆金色なり」云々の記載があり、当時から「金色堂」と称されていたことが分かる。

    建築形式

    平面は正面、側面とも3間で、正面の柱間全てと、側面の前端の間、背面の中央の間を板扉両開きとし、残りの柱間は横板壁とする。柱は円柱で、地長押、内法長押(うちのりなげし)、頭貫(かしらぬき)を用い、組物は三斗、中備(なかぞなえ)は蟇股(かえるまた)とする。軒は二軒繁垂木(ふたのきしげだるき)。屋根は宝形造(ピラミッド状の屋根形)で瓦形の木材で葺いた木瓦葺きとする。建物周囲には縁をめぐらすが、高欄や階段はない。内部には4本の柱(入側柱)が立ち、その内側が内陣、外側を外陣とする。間面記法(けんめんきほう)で表記すれば「一間四面」であり、典型的な阿弥陀堂建築である。内陣には金工や漆芸で飾られた須弥壇を、前方2本の柱よりやや後退した位置に設ける。外陣の右奥と左奥(西北隅と西南隅)にもそれぞれ須弥壇を設けるが、これらは後設されたものである。入側柱間は無目(扉や戸のない鴨居)、長押、頭貫で繋ぎ、各柱上に三斗の組物を置き、組物間には蟇股を置く。入側柱・側柱間は繋虹梁(つなぎこうりょう)で繋ぐ。天井は内陣が折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)、外陣は垂木をそのまま見せた化粧屋根裏とする。3...

    装飾

    金色堂の名のとおり、堂は内外共に総金箔貼りで、扉、壁、軒から縁や床面に至るまで漆塗りの上に金箔を貼って仕上げられている。ただし、木瓦部分のみは解体修理時に金箔の痕跡が確認できなかったため、金箔貼りとしていない。堂内に立つ4本の柱(入側柱)は「巻柱(まきばしら)」と称し、ヒバ材の八角柱の周囲にかまぼこ状の形をした杉材を貼り付けて円柱に仕立てている。これは、柱の表面を漆工芸で装飾するためであると共に、干割れを避けるための措置である。巻柱には蒔絵と螺鈿で宝相華文(ほうそうげもん)と仏像が表されている。仏堂内部に壁画ではなく漆工芸で仏像を表現しているのは日本でも珍しい。各柱は、床に接する部分に蓮弁形の根巻金具がある。柱本体は、沃懸地(いかけじ)に螺鈿で宝相華文を表した細い帯が5か所にあり、これによって4つの区画に分けられている。このうち、上の3つの区画には研出蒔絵(とぎだしまきえ)で菩薩像が表され、一番下の区画には螺鈿で大ぶりの宝相華円文が表されている。各柱に表された菩薩像は4体×3段、計12体で、堂内の柱4本に計48体が表されている。これらの菩薩像の尊名や主題については諸説あり明らかで...

    御神体

    金色堂の須弥壇内には、藤原清衡、基衡、秀衡の御神体化した遺体と泰衡の首級が納められている。金色堂には「中央壇」「左壇」「右壇」の3つの須弥壇があり、各壇に1体ずつの遺体を安置する。寺伝では中央壇・左壇・右壇の遺体が順に清衡、基衡、秀衡のものとされていたが、1950年に実施された学術調査の結果からは寺伝と逆に、左壇の被葬者が秀衡、右壇の被葬者が基衡であるとするのが定説となっている。泰衡の首級(寺伝では弟の忠衡の首級とされていた)を納めた首桶は右壇に安置されていた。なお、ここで言う「左壇」「右壇」は本尊から見ての「左」「右」であり、拝観者の視点では向かって左が右壇、向かって右が左壇である。また、方位を冠して左壇を「西北壇」、右壇を「西南壇」と呼ぶ場合もある。3つの須弥壇のうち、中央壇が最初に造られ、左壇・右壇が後設であることについては研究者の間で異論がない。しかし、左右壇の増設時期については、右壇が先に造られ、左壇は後に造られたとする説と、左右壇とも同時に増設されたとする説がある。さらに後者の説については、左右壇とも基衡の時代に造られたとする説と、左右壇とも秀衡の時代に造られたとする...

    中尊寺蓮

    1950年の調査において泰衡の首桶から100個あまりのハスの種子が発見された。種子はハスの権威であった大賀一郎(1883 - 1965年)に託されたが発芽は成功せず、その後1995年に大賀の弟子にあたる長島時子が発芽を成功させた。泰衡没811年後、種子の発見から50年後にあたる2000年には開花に至り、中尊寺ではこのハスを「中尊寺蓮」と称し栽培している。

    その他副葬品

    棺と共に納められていた副葬品には、白装束と枕のほか、刀剣類、念珠などがあり、他に類例のない貴重な学術資料として、一括して重要文化財に指定されている。副葬品には都風のものと、鹿角製の刀装具のような地方色の現れたものがある。棺はヒバ材で、内外に金箔を押す。金箔の使用には、金色堂の建物自体に使用された金箔と同様、遺体の聖性、清浄性を保つ象徴的意味があると見なされている。中央壇の赤木柄短刀(あかぎつかたんとう)は、刀身に金銀象嵌を施したものである。刀身への象嵌は上古刀には散見されるが、平安時代には珍しい。錦などの裂類も、断片化してはいるが、染織遺品の乏しい平安時代の作品として貴重である。

    堂内安置の仏像について見ると、中央壇、右壇、左壇共に阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)を中心に、左右に3躯ずつ計6躯の地蔵菩薩立像(六地蔵)、手前に二天像(持国天、増長天)を配し、以上11躯の仏像から構成される群像を安置している。なお、ここで言う「右壇」「左壇」は本尊から見てのそれであり、拝観者からの視点では向かって左が「右壇」、向かって右が「左壇」であることは前述のとおりである。右壇の二天像のうち右方(向かって左)の増長天像は失われ、現在安置されている同像は近年の補作である。また、右壇の阿弥陀如来像は金色堂本来の像でなく、後世他所から移入された像であると見なされている。したがって、金色堂本来の仏像で現存するものは計31躯である。中央壇と左壇の阿弥陀如来像は膝前で両手...

    「中尊寺金色堂堂内具」として以下の物件が国宝指定を受けている。 1. 木造礼盤(もくぞう らいばん)1基 2. 螺鈿平塵案(らでんへいじん あん)3基 3. 磬架(けいか)1基 附 孔雀文磬(つけたり・くじゃくもん けい)1面 4. 金銅幡頭(こんどう ばんとう)3枚 5. 金銅華鬘(迦陵頻伽文)(こんどう けまん・かりょうびんがもん)6枚 (用語説明) 1. 礼盤-導師の坐る台座。 2. 平塵-漆工技法の一種。漆塗りの面にヤスリでおろした金粉を蒔き付けたもの。 3. 案-「つくえ」とも読む。仏事に使用する仏具などを置く台。 4. 磬-「へ」の字形の金属板で、導師の脇に吊るし、叩いて音を出す。「磬架」はこれを吊るすためのもの。 5. 金銅-銅の表面に鍍金(金メッキ)したもの。金と銅の合金では...

    国宝

    1. 中尊寺金色堂1棟 1. 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦形板葺 1. 附:棟札4枚 1.1. 一、修覆正応元年大歳戊子初冬日の記があるもの 1.2. 一、修□□正応□□六日の記があるもの 1.3. 一、改修造永徳第四甲子二月廿一日の記があるもの 1.4. 一、修復元禄十二己卯秊十月三日の記があるもの 2. 附:納札1枚 2.1. 一、元禄拾弐卯つちのと十月朔日の記があるもの 3. 附:旧組高欄 6組 4. 附:古材 6点 (入側柱2、側柱1、隅棟2、木瓦1) 5. 附:旧飾金具 2点 (八双金具1、藁座金具1) 5.1. 明治30年(1897年)12月28日、当時の古社寺保存法に基づき、特別保護建造物に指定。 5.2. 昭和26年(1951年)6月9日、文化財保護法に基づき、国宝に指定。棟札4枚のうち2枚(正応元年初冬日のものと永徳4年のもの)はこの時、追加指定された。 5.3. 昭和53年(1978年)5月31日、附の棟札残り2枚、納札、旧組高欄、古材、旧飾金具が追加指定される。 金色堂堂内諸像及天蓋31躯、3面 1. 木造阿弥陀如来及両脇侍像 3躯 2. 木造地蔵...

    重要文化財

    金色堂須弥壇内納置棺及副葬品 1. 金箔押木棺 1合 2. 白綾袷袴 1腰 3. 白平絹袷袴 1腰 4. 白綾袷衾 1帖 5. 紫平絹括枕 1箇 6. 絹本墨画像 1面 7. 赤木柄螺鈿呑口式腰刀(鐺残闕共)1口 8. 大刀 1口 9. 赤木柄短刀 1口分 10. 短刀残闕 1口分 11. 刀子鞘残闕 2箇 12. 銀鍍金目貫座金 1箇 13. 銀鍍金革先金 1対 14. 金七ツ金 2箇 15. 銀七ツ金 2箇 16. 螺鈿目貫座金 1箇 17. 金塊 1箇 18. 鮫皮残片 一括 19. 念珠 一括 20. 平絹・綾・錦残闕等 一括 1. (以上中央壇) 1. 金箔押木棺(内張錦共)1合 2. 白平絹袈裟 1掛 3. 白平絹単衣 1領 4. 白平絹袷小袖 1領 5. 白平絹括枕 1箇 6. 角打紐 一括 7. 呑口式打刀 1口・鹿角装鞘残闕 一括 8. 鹿角装巴文刀装具残闕 1箇 9. 木刀子 1口 10. 刀子残闕 2口 11. 念珠 一括 12. 平絹・綾・錦残闕等 一括 1. (以上西北壇) 1. 金箔押木棺 1合 2. 枕芯木 1箇 3. 大刀鞘残闕 1箇 4. 刀子鞘...

    切手

    1. 1954年(昭和29年)1月20日発行 20円普通切手 2. 1968年(昭和43年)5月1日発行 30円普通切手 3. 2000年(平成12年)8月1日発行 80円 平成12年ふるさと切手 4. 2011年(平成23年)11月15日発行 80円 地方自治法施行60周年記念シリーズ岩手県 5. 2012年(平成24年)6月29日発行 80円 世界遺産シリーズ第6集

    小惑星への命名

    1. 2010年09月30日、日本のアマチュア天文家が発見した2つの小惑星のうち1つが「Konjikido(金色堂)」と命名され、国際天文学連合小惑星センターに登録された(小惑星番号29252)。もう1つは白鷺城(Hakurojo、姫路城の別名)と命名された。

    ドキュメンタリー

    1. 「平泉 よみがえる黄金都市 〜奥州のグローバルシティー 全貌に迫る〜」(2011年11月22日、NHK BSP)

    井上靖、佐和隆研監修、井上靖、多田厚隆、佐々木邦世『古寺巡礼東国1 中尊寺』、淡交社、1982
    須藤弘敏、岩佐光晴『中尊寺と毛越寺』(日本の古寺美術19)、保育社、1989
    『週刊朝日百科 日本の国宝』98号(中尊寺ほか)、朝日新聞社、1999
    『週刊 古寺をゆく4 中尊寺』(小学館ウィークリーブック)、小学館、2001
  3. ja.wikipedia.org › wiki › 東寺東寺 - Wikipedia

    東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある、東寺真言宗総本山の日本の仏教寺院。山号は八幡山。本尊は薬師如来。真言宗の根本道場であり、教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。寺紋は雲形紋(東寺 ...

  4. ja.wikipedia.org › wiki › 書経書経 - Wikipedia

    『書経』(しょきょう)は、中国古代の歴史書で、伝説の聖人である堯・舜から夏・殷・周王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されている [1]。『尚書』または単に『書』とも呼ばれ、儒教の重要な経典である五経の一つでもある [1]。

  5. ja.wikipedia.org › wiki › 天理教天理教 - Wikipedia

    天理教(てんりきょう)は、中山みきを開祖とする日本発祥の宗教。 江戸時代後半に成立した宗教の一つ。かつては教派神道の一派とされていたが、本来は神道とは別の宗教であり、仏教の影響もみられる。 一般的には奈良県 天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)およびその ...

  6. ja.wikipedia.org › wiki › 永平寺永平寺 - Wikipedia

    法人番号. 1210005001129. テンプレートを表示. 永平寺. 仏殿. 永平寺 (えいへいじ)は、 福井県 吉田郡 永平寺町 にある、 曹洞宗 の 仏教 寺院 。. 總持寺 と並んで、 日本 における曹洞宗の中心的な寺院( 大本山 )である。. 山号 を吉祥山と称し、 開山 は ...

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