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  1. 公海遊 相關
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  1. 公海 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 公海

    公海はいずれの国による支配下にもなく、すべての国による使用のために開放されているとする国際法上の原則を、公海自由の原則という [19] [20]。この自由には、どの国も公海となる海域部分の領有を禁止されるとする「帰属からの自由」という側面と [2] [20] [21] ...

  2. 釣船 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 遊漁船
    • 概要
    • 俗語的用法
    • 脚注
    • 関連項目

    釣船は、釣りを目的とした客を乗せ、海岸などから離れた漁場や島まで連れて行き、または船釣りを行わせ、客に釣りを楽しませることを目的としている。このため、生業とするための釣を行う漁船とは趣が違う。日頃から情報収集に努め、季節で変化する好ポイントを把握し、いかにして客に満足してもらうかが船頭の腕の見せ所となり、次回からのリピートや口コミ等での好評につながる。 遊漁船業の適正化に関する法律第2条において、船は遊漁船、業種は遊漁船業と定義される(個人所有のプレジャーボートなどを使って釣りを行うときの船舶はこの遊漁船には当たらない)。

    日本帝國海軍において、航空母艦への着艦に失敗・もしくは燃料切れや機械故障等で着水した艦上機及び搭乗員を救助・回収することを「トンボ釣り」と俗称し、この際に救難収容任務にあたる駆逐艦、及び飛行機救難船(小型のクレーン船)を指して「釣船(釣り船)」と俗称した。 また、海上自衛隊では洋上での任務航海中、非直乗組員に対して娯楽としての釣りが許可される事があり、この「F作業(“F”はFishingの意)」等と通称される課外娯楽の許可が多く出される艦艇を、隊内俗称として「釣り船**丸(**、には艦艇名が入る)」などと呼称することがある。

    ^ 日本を始めとして国家主権の及ぶ「領海」もしくは「排他的経済水域」内で無許可で漁業行為を行うことは違法及び主権の侵害行為であるため、あくまでも上位の領域外の公海上においてに限られる
  3. 浮遊機雷 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 浮遊機雷

    浮遊機雷(ふゆうきらい)とは機雷の敷設状態の一形態。 正または中性の浮力を持ち、風または潮流により水上または水中を自由に浮遊させる機雷をいう。 敷設箇所より海流・海況に応じて移動するため、その危険地区の予測は、敵・味方とも困難であり、公海上で中立 ...

  4. 機雷 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 機雷
    • 機雷の種類
    • 機雷敷設方法
    • 機雷の作動
    • 歴史
    • 参考文献
    • 関連項目

    作動方法別

    機雷の作動方法は触発機雷 (Contact mines) と感応機雷 (Influence mines) 、管制機雷(command) に大別される。触発機雷は艦船が接触することにより爆発する機雷で、触角機雷および水中線機雷などがある。ヘルツ式触角を用いた触角機雷は現在でも見ることができる。感応機雷は艦船の航行により発生する船舶特性により機雷が感応して作動する機雷で、触発機雷に比べると広い危害範囲を持っている。 過去には、感応機雷には艦艇の磁気により乱れた地磁気に感応する磁気機雷、艦艇の出す音響に感応する音響機雷、艦艇が航行することにより発生する負水圧を感知する水圧機雷、船体とスクリューなどの異種金属間で発生する電流を捉えるUEP機雷などが開発され、21世紀の現在では、これら複数のセンサーからの情報に基づく高度な起爆条件が設定できる複合感応機雷が主流を占める。 ほとんどの機雷は敷設されると管制できないが、管制機雷は陸上の管制所などから接続されている有線のコントロールにより発火させる。平時には機雷側のセンサを使用して機雷戦に必要な船舶のデータを収集することができる。 最近では紛争終...

    敷設状態別

    敷設状態の種類別では、海底に沈降させる沈底機雷、海底の係維器に係維索を持って水面下の任意の深度で機雷缶を係留する係維機雷、係維器に係維索を持って海底近くに機雷缶を係維する短係止機雷、海面または海中を漂う浮遊機雷がある。

    走行機能別

    感知すると目標に向かう機雷として目標を追尾するホーミング機雷、目標深度まで上昇する上昇機雷などがある。 ホーミング機雷にはカプセルにホーミング魚雷を格納したアメリカ海軍のMk60キャプター機雷も含まれる。これらは従来の機雷に比べて広範な危害範囲をカバーするため、主に音響センサーを使用している。目標を追尾する必要のあるホーミング機雷は、目標の位置を正確に測的する必要があり、指向性の強い高周波を利用している。

    機雷は潜水艦や機雷敷設艦のような艦艇、または航空機からの投下によって敷設される。水中を自走した後に待機状態となる自走機雷は、敵性海面のような危険な目標地点まで自走するので、潜水艦と組み合わせると隠密に機雷を遠くから安全に敷設することができる。過去はそれぞれ潜水艦、水上艦艇および航空機敷設専用の機雷を要したが、現在ではどの敷設手段でも可能な機雷が主流である。 艦船からの機雷敷設方法は、初期は甲板上のデリックを用いたり船体からの板作りの張り出しから投下したりしており、航行しながらの効率的で急速な敷設は不可能で、母艦を停泊させてひとつひとつていねいに投下する必要があった。 水雷兵装の開発研究に精力を傾けていたロシア帝国は、19世紀末に効率的な新しい水上機雷敷設方法を発明した。ロシア帝国海軍の海軍大尉であった V・A・ステパーノフは、1889年に、毎分 10 個のペースで機雷を敷設できる機構を考案した。その案では、機雷敷設艦船尾の低い位置に閉鎖された機雷甲板を設置し、その上方に機雷甲板の全長にわたって T 字形の誘導軌条を吊り下げることになっていた。機雷敷設時には船尾の窓が開き、この軌条が迫り出して機雷を放出する仕組みであった。艦は 10 kn の速度で航行しながら機雷を敷設できたが、航行しながらの機雷敷設を可能にするシステムは当時画期的な発明であった。このシステムは、機雷敷設艦「アムール」と「エニセイ」で初めて実用化された。「アムール」は、敷設した機雷によって日露戦争において日本の戦艦「初瀬」と「八島」を撃沈している。

    機雷は、敷設されるとまず時限時間の計時および自滅時間の計時を開始する。時限時間は敷設後すぐに起爆しないようにすることで、早期爆発で敷設艦への危害を防ぐとともに、機雷が周りの環境に対して安定する必要があるため設定されている。この後は機雷は待機状態となり目標を攻撃できるようになる。機雷が爆発などせずに自滅時間が経過すると機雷は自沈、自爆、電池の放電などによりその発火機能を失う。 21世紀初頭現在の多くの機雷は、磁気・音響・水圧といった複数のセンサーなどから得られる情報によって起爆条件が設定されている。「インテリジェント機雷」や「スマート機雷」と呼ばれる機雷は、目標の大きさや軍艦、もしくは商船であるかを識別し、最適な時期に目標を攻撃できる機雷も開発されている。

    近代的な機雷はロバート・フルトンにより作成されたといわれている係維式触角機雷といわれている。 試験的にだが実戦で使われるようになったのはクリミア戦争で、1854年に参戦したイギリスがスウェーデンに参戦を確約させるためにオーランド諸島を攻撃した際に、ロシア帝国海軍バルチック艦隊がバルト海を封鎖するのに使用した。威力もさることながら当時はその正体が知れなかったことから心理的効果も大きかった。その影響は、スウェーデン側に参戦を躊躇わせるほどだった。なお、機雷の製造を請け負ったのは、サンクトペテルブルクで兵器製造を手がけていたスウェーデン人の発明家イマヌエル・ノーベル(英語版) (アルフレッド・ノーベルの父)である。イマヌエルは一時大きな利益を得るが戦争終結と同時に注文が止まり、軍の支払いも延期されたため事業が逼迫し1859年に破産、スウェーデンに帰国した。 南北戦争では、圧倒的に優勢な北部海軍から港湾・水路を守るために南部連合側が積極的に機雷を使い、戦果を挙げた。なお、当時は機雷も外装水雷も「Torpedo」(現在では魚雷を意味する)と呼ばれていた。これはアメリカ独立戦争当時にデヴィッド・ブッシュネルが潜水艇と共に使った爆発物の呼称に由来する。 薩英戦争の際、桜島沖の 沖小島と桜島の間に管制機雷が3機設置されており、これにイギリス艦船1隻が接近したが連絡ミスにより砲台が発砲、イギリス艦船は機雷原から離れてしまい使用に至らなかった。 日露戦争では公海上で本格的な機雷戦が行われるようになり、日本海軍は敷設した機雷により、ロシア海軍第1太平洋艦隊の旗艦「ペトロパヴロフスク」を撃沈、司令官のマカロフ提督が戦死した。一方、日本もロシア側の敷設した機雷により戦艦「八島」と「初瀬」を一度に失った。この戦争では、日本海軍は敷設した機雷で戦艦1艦をはじめロシアの艦艇を計6隻沈め、ロシア海軍は係維機雷6,000発を敷設して日本の戦艦2隻をはじめ計10隻を沈めた。特殊な使用例であるが、旅順攻囲戦の際、ロシア陸軍が余剰兵器であった機雷を陸上戦闘兵器として転用し、旅順要塞から敵に向かって投げ落として爆発させ、日本軍兵士に甚大な損害を与えている。 第一次世界大戦では24万発、第二次世界大戦では70万発の機雷が使用された。重要な港湾や海峡の入り口はくまなく機雷で封鎖され、イギリスのド級戦艦オーデ...

    機雷の脅威を検討する : 中国「近海」における機雷戦 (Taking Mines Seriously : Mine Warfare in China's Near Seas),トゥルーヴァー スコット・C(Scott C. Truver),訳 渡邉浩,八木直人,海幹校戦略研究 第2巻第1号増刊,P68-111,海上自衛隊幹部学校,2012年8月

  5. 北極海 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 北極海
    • 地理
    • 沿岸都市
    • 歴史
    • 北極海航路
    • 極圏航路
    • 資源
    • 生物
    • 科学研究
    • 環境問題
    • 関連項目

    面積は約14,056,000 平方kmもしくは9.485×106平方km、海岸線の長さは45,389 km。最大深度5440m、平均深度1330mであり、太平洋・大西洋・インド洋と比べて平均深度は約1/3と浅い。この浅さは、大陸棚の発達によるものである。カナダ側にも大陸棚は広がっているが、とくにシベリアの北側には広大な大陸棚が広がっている。北極海中央部には北極海盆と呼ばれる深海域が広がっているが、この北極海盆はロシア領のノヴォシビルスク諸島からカナダのエルズミーア島にかけて北極海を横切るように伸びている、長さ1,800km、周囲の海底からの高さ3,300m-3,700mのロモノソフ海嶺によって二分されている。この海嶺の北アメリカ側はアメラジアン海盆、シベリア側はユーラシア海盆と呼ばれ、さらにアメラジアン海盆はアルファ海嶺によって二分され、北極点側がマカロフ海盆、北アメリカ側がカナダ海盆と呼ばれる。また、ユーラシア海盆もガッケル海嶺によって二分され、北極点側がアムンセン海盆、シベリア側がナンセン海盆と呼ばれる。 かつて最終氷期においては北極海沿岸は巨大な氷床に覆われ、北極海の水位も現在より120m下がっていた。このため、水深が浅い北極海では、大陸棚の広大な地域が陸地となっていた。この時期にこの大陸棚では永久凍土が形成され、間氷期となってこの地域が水没した後も溶解しなかった。そのため、現在でも北極海の大陸側海底には広大な永久凍土地帯が存在している。 北極海は、ユーラシア大陸、北アメリカ大陸、グリーンランドに囲まれている。この北極海は、多くの海域に分割されている。ユーラシア大陸側のロシア北方海域は、西からバレンツ海、カラ海、ラプテフ海、東シベリア海、チュクチ海、そしてバレンツ海の南に位置する入り江である白海の6つにわかれている。北アメリカ大陸側には、バフィン湾、ボーフォート海、グリーンランド海、ハドソン湾、ハドソン海峡といった海域が含まれる。そして、この二つに挟まれて、北極海の中央部分が北極点を中心に広がっている。なお北極海は、ベーリング海峡で太平洋の付属海であるベーリング海と、グリーンランド海で大西洋の付属海であるノルウェー海と繋がっている。 北極海の海水供給は、とくにヨーロッパ大陸北方においての大西洋からの流入が主なものとなっている。ヨーロッパ大陸北方には、北大...

    沿岸でもっとも大きな都市は付属海である白海に面するアルハンゲリスクであり、人口は約35万人に上る。アルハンゲリスクは冬季に結氷するものの、18世紀初頭にピョートル大帝が大北方戦争においてスウェーデンからバルト海沿岸を奪取しサンクトペテルブルクを建設するまではロシア唯一の海への出口であり、商港として栄えた。ついで大きな町は、コラ半島北部に位置し北極圏に属するムルマンスク(人口約30万人)である。ムルマンスクはノルウェー海流の影響を受けて不凍港であり、軍港として重要である。ムルマンスクは人口10万人以上の町としては世界最北の町である。この2都市を除けば人口10万を超える都市は北極海沿岸には存在しない。コラ半島から白海南部にかけては北極海沿岸でもっとも人口の稠密な地域であり、ムルマンスク周辺にはコラ半島の名の由来ともなった古い交易都市であるコラや、ロシア北方艦隊の母港であるセヴェロモルスクなどの小中都市が点在する。かつてソビエト連邦時代には国策としてシベリアの開発が進められ、その輸送ルートとして北極海航路も砕氷船を用いて積極的に開発が進められたため、シベリアの北極海沿岸にはナリヤン・マルやオビ川河口に近いノービイ・ポルト(Novıy Port)、エニセイ川河口に近いディクソン、レナ川の河口に存在する三角州地帯の南南東にあるティクシ、チュコト地方のペヴェクなどに1万人を超える都市が立地していた。しかし、ソビエト連邦崩壊後は北極海航路やシベリア開発の多くが放棄され、これらの町の人口も急減した。 ヨーロッパ北部の北極海沿岸では、アイスランドのアークレイリ(人口17000人)が最大の町である。ついでスバールバル諸島の主邑であるロングイェールビーンが人口2200人で続く。スバールバルには他に、かつてソ連が労働者を送り込み、なかば自国領として統治していた炭鉱の町バレンツブルクや、スバールバルおよび世界最北の村落の一つであるニーオーレスンなどの集落があり、いずれも北極海に面している。 シベリア側に比べ、北アメリカ大陸側の人口はさらに少ない。最大の町はアラスカ州のバローだが、人口は4000人程度に過ぎない。これにプルドーベイ油田をもつプルドーベイが2000人程度で続き、このほかは沿岸に人口1000人を超える集落は存在しない。カナダ領の北極諸島にはレゾリュートなどの小集落が点在するの...

    古代・中世

    紀元前からすでに、北極海沿岸にはエスキモーをはじめとする諸民族が進出し、漁労や狩猟を中心とする生活を送っていた。 北極海の水域を始めて探検したのはヴァイキングであり、11世紀ごろにはコラ半島から白海周辺にまで到達していた。一方、12世紀ごろよりノヴゴロド共和国の移住者が白海沿岸に定住し、ポモールと呼ばれる民族集団を形成した。ポモールは北極海沿岸に沿って各地に入植し、北ドヴィナ川の下流域に位置するホルモゴルイの町を本拠地として、コラ半島北岸のコラなどに拠点を作り、交易をおこなっていた。14世紀にはホルモゴルイは交易拠点として栄えた。

    北東航路の探索

    大航海時代が始まり、アメリカ大陸が発見されると、航海熱が高まり、北極海を通ったアジアへの最短ルートがあると信じられるようになった。いわゆる北西航路・北東航路である。特にイギリスやフランス、オランダがこの航路探索に力を入れた。そんな中、1553年に北東航路探索中だったリチャード・チャンセラー(英語版)が白海へとたどりつき、ホルモゴルイからモスクワ大公国へと到達した。これによって1555年にロンドンにおいてモスクワ会社が設立され、北極海を通じたイギリス・ロシア交易が盛んとなった。1584年に建設されたノヴォ・ホルモゴルイ(現アルハンゲリスク)がこの交易の拠点となった。1594年には、ウィレム・バレンツがノヴァヤゼムリャ島を発見した。1596年にはバレンツの3度目の探検によってスヴァールバル諸島のスピッツベルゲン島が発見されている。この島はしばらく放置されていたが、1608年にヘンリー・ハドソンが北極海探検を行った際、この島近くにホッキョククジラの大群が生息していることを報告し、以後バレンツ海ではイギリスとオランダによる捕鯨が盛んに行われるようになり、スピッツベルゲン島は捕鯨拠点として...

    北西航路の探索

    一方、アメリカ大陸側においても北西航路の探索がすすめられていた。1576年から1578年にかけてはマーティン・フロビッシャーが3度の北西航路探索を行い、バフィン島にまで到達している。1585年から1587年にかけてはジョン・デイヴィスがデービス海峡を抜けてバフィン島へ到達し、1610年にはヘンリー・ハドソンが探検を行い、ハドソン海峡をはじめて抜けてラブラドル半島の北端を回ってハドソン湾へと到達したが、南端のジェームズ湾で越冬中に命を落とした。その後、1668年にイギリス船ノンサッチ号がハドソン湾に再び進入し、沿岸のインディアンと毛皮の交易に成功した。これを受け、1670年にハドソン湾会社が設立されて、ハドソン湾及びハドソン湾に注ぐすべての河川の流域(ルパート・ランド)を含む交易独占権を得た。これにより、ハドソン湾沿岸各地にハドソン湾会社の交易所が建設され、ハドソン湾までの交易ルートは確立したものの、それ以西の探検はいまだ進んでいなかった。 18世紀後半になると、ハドソン湾会社の毛皮交易独占に対抗すべく設立された北西会社が盛んに探検隊を北アメリカ大陸北部へと送るようになり、そのうち...

    北極海を経由してヨーロッパとアジアを結ぶ航路は、16世紀以降幾度も構想され、ユーラシア大陸北岸を通る北東航路、北アメリカ大陸北岸を通る北西航路の二つを目指して、多くの探検家たちが航海を行ってきた。しかしかつて北極海は通年氷に閉ざされており、商業航路の開設はほぼ不可能であった。北東航路に関しては、旧ソヴィエト連邦時代には、ほぼソヴィエトの沿岸のみを通る航路として北極海航路は重視され、北極航路総管理局のもとで砕氷船とともに定期船もなんとか運行されてきたが、ソ連崩壊とともに多額の運航費用のかかるこの航路はほぼ消滅し、コラ半島からオビ川までの航路はなんとか維持されたものの、それ以東はレナ川河口までがまれに航行が行われる程度で、レナ川以東はほぼ商船の航行が途絶えてしまった。また、北西航路に関しては、カナダ政府にこれを商業化する意思は全くなく、航路整備は全く行われてこなかった。 しかし、近年の地球温暖化により北極海の海氷が急減し、それにともない北極海を通る航路が注目を集めている。北極海を経由した場合、例えばロンドンから大阪へと航行する場合は、パナマ運河経由が23300㎞、スエズ運河経由が21200㎞もかかるのに対し、北極海北西航路であれば15700㎞で済み、時間・運航費用的に非常に経済的な航路となりうる。そのうえ、この航路はすべて通常の海域であり、パナマ運河やスエズ運河のような人工運河を経由しないため、パナマックスやスエズマックスといった、運河のサイズに合わせた船舶サイズ制限が一切不要となる。さらに、この海域は大国の沿岸海域であるうえに人口が非常に少ない地域であるため、ソマリア沖やマラッカ海峡のような海賊の出没を考慮する必要がないこともメリットとして挙げられる。 しかし、この海域はもともと氷で閉ざされていた地域であり、一時期氷から解放されていたとしても、氷解時期のずれや流氷などの脅威は常に付きまとうため、砕氷船の同行などが必要となり、これがコスト高の要因となりうる。また、北極海地域はこれまで商業航路としてほぼ利用されてこなかったため、他海域に比べて商業航路運行上の法整備が圧倒的に立ち遅れている。特に北西航路においては、地形的にカナダ領北極諸島の南側を抜けるルートを取ることとなるが、ここはカナダ領に挟まれた海峡であり、このルートをカナダの領海であり内水であると主張するカナダ...

    海路である北極海航路がいまだ未開発であるのに比べ、北極海上空を飛行する空路である極圏航路はすでに航空路として開発され、多く利用されている。 極圏航路が商業航路として初めて利用されたのは1950年代半ばのことで、アメリカ西海岸のロサンゼルスとデンマークのコペンハーゲンとを結ぶ便が最初だった。当時は冷戦下であり、西側諸国の航空機の多くはソヴィエト連邦領上空を通過することができず、また航続距離にも問題があったため、北極圏に近いアラスカのアンカレッジ空港を中継地とし、ここで給油して北極海上空を飛行するルートが開発されたのである。ついで、日本とヨーロッパを結ぶ空路もこのコースを取るようになった。それまでのアジア諸国を回る南回り航路に比べ、このアンカレッジ経由ルートは大幅に飛行時間を短縮することができたため、この航路は北回り航路と呼ばれて日本・欧州間のメインルートとなった。アンカレッジ空港はこの空路のハブとして活況を呈したが、やがて冷戦の終結とともにロシア連邦は西側諸国の領空通過を認め、また飛行機の航続距離の増大もあって、1990年代には日本・欧州間の航空便はシベリア上空を通過するルートへとすべて変更され、極圏航路を利用しなくなった。しかし、現在でもアメリカ・カナダと中国やドバイを結ぶ便では北極海上空通過ルートが利用されている。

    北極海の鉱物資源・動物資源はその豊富さが注目されている。石油、天然ガス、漂砂鉱床、マンガン団塊などのほか骨材となる砂利が海底に眠っている。また魚、アザラシ、クジラも多く生息する。ノルウェー北部のバレンツ海においては石油の埋蔵が多数確認され、枯渇の心配される北海油田に代わるノルウェー石油産業の柱となりつつある。2000年に最初の油田が開発され、その後も新油田の開発が積極的に行われている。 北極海の中央部は、アメリカ合衆国、ロシア、カナダ、デンマーク、ノルウェーといった国々が、これらの資源や北西航路・北極海航路(北東航路)を狙って権利を主張している。特に世界の未発見の石油・天然ガスのうち4分の1以上が海底に埋蔵されているとみられており、ロモノソフ海嶺による経済水域の定義をめぐりロシアとカナダなどの論争も起こっている。地球温暖化による北極海の気候の温暖化・海氷の減少によってこれらの資源は開発が容易になることが想定されており、開発計画も多数存在する。

    北極海では生物種が多様であり、氷の上にはホッキョクグマなど多数の動物が生息する。またセイウチやホッキョククジラ、イッカクにシロイルカといった海洋生物も住む。植物の数は、海水中の植物プランクトンを除き少ない。植物プランクトンは多数生息しており、北極海の生態系にとって非常に重要な存在である。植物プランクトンが利用する養分が、北極海に流れ込む幾つもの河川から流れ込んでくることはもちろんのこと、大西洋や太平洋とつながっている海峡からも北極海へと流れ込んできている。この養分の流入の他に、地球は自転軸を傾けたまま太陽の周りを公転している関係で、北極海の多くの場所では夏季に白夜となるため、植物プランクトンは光合成を盛んに行って大繁殖し、これを求めて様々な生物が集まってくる。しかし、同様の理由で冬季は極夜となるため、植物プランクトンの活動は著しく低下する。冬季は空の薄明りなどの光を求めて厳しい生存競争を繰り広げている他、渡り鳥などのように冬季は他の地域へと移動していってしまう生物も見られる。 こうした生物を保護するため、北極海沿岸には多くの自然保護区が設けられている。カナダ領北極諸島やロシア領の北極海各諸島に自然保護区があるほか、グリーンランド北東部には世界最北・最大の国立公園である北東グリーンランド国立公園が存在している。 2017年11月には北極圏に領土を持つ諸国と欧州連合(EU)、日本、中国、韓国が、北極海の公海における商業漁業の規制などで合意。上記の10カ国・機関が2018年10月3日、北極海公海での商業漁業を16年間禁止する協定の署名式を、グリーンランドのイルリサットで開いた。

    北極海には多くの観測基地が設けられ、極地の環境について観測・研究が行われている。これらの研究の歴史は古く、1882年から1883年にかけての国際極点年を嚆矢とする。この国際極点年は1932年から1933年にも行われ、さらに1957年から1958年にかけての国際地球観測年のときには北極全域に300か所の観測基地が設置され、研究が進んだ。ソ連とアメリカはそれぞれ2つずつ氷山の上に漂流基地を設置し、海流と海底の調査を行った。こうした研究を最も積極的に推し進めたのは旧ソ連であり、またアメリカやカナダも自国領海を中心にそれぞれ研究を進めた。

    最近では、北極には深刻な環境問題が起きている。最近30年間の北極の気温は、10年で0.5°Cずつ上昇しており、温暖化の影響ではないかと一部で主張されている。地球の気候変動の影響で北極海の氷が薄くなり、氷が覆う範囲も狭くなってきている。北極海に浮かぶ氷の面積が減ることは、地球が太陽光を外部へ反射する割合(アルベド)が減ることにつながり、気候変動が加速される。また、北極での温度上昇で溶けた氷が北半球に流れ込み海流のパターンを変えてしまう(例えば、北大西洋に流れ込み、ヨーロッパを温めている暖流を押し下げてしまう)との懸念もある(熱塩循環を参照)。 また長年に渡り、毎年春になるとオゾンホールが北極海の上空に出現し続けている。 これまでで夏の北極の氷の面積が最小を記録したのは2012年である。温暖化の影響により、2030年頃には夏に北極の氷が消滅してしまうだろうと予測されている。

  6. 飛地 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 飛地

    飛地(とびち、飛び地)とは、一つの国の領土や行政区画、町会等の内、地理的に分離している一部分である。土地の一部が「他所に飛んでいる」と見られることからこう呼ばれる。 飛地が内陸部で他の行政単位に完全に囲まれているケース

  7. 自由海論 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 自由海論
    • 出版の経緯
    • 『捕獲法論』第12章との比較
    • 思想的背景
    • 影響
    • 参考文献
    • 外部リンク

    『捕獲法論』執筆

    グロティウスが『捕獲法論』を執筆したのは1604年秋から1605年春の間、グロティウスが22歳のころで、改訂作業まで含めると執筆のすべてが終わったのは1606年秋のころといわれる。執筆のきっかけは1603年2月25日にアムステルダムの船主組合で商船隊を指揮していたヘームスケルク提督(グロティウスの父方の祖母の弟)がマラッカ海峡でポルトガルの商船カタリナ号を捕獲した事件であった。この事件に関してオランダの海事裁判所で裁判が行われ、1604年9月9日に船主組合と合併した東インド会社に有利な判決が下され、捕獲によって得た品々を東インド会社が合法的に没収することができることが認められた。しかしこのような強引な手段によって利益を受けることはキリスト教の教えに反するとして東インド会社の一部の者たちはこの捕獲によって利益を受けることを拒み、そのなかには会社を脱退したり新たに会社を立ち上げる計画を立てる者もあらわれるなど、このとき東インド会社は混乱に陥った。現在では裁判の資料が焼失しているために確証はないが、当時グロティウスがアムステルダムで弁護士をしていたこと、グロティウス自身が東インド会社と...

    『自由海論』出版

    グロティウスがこの『捕獲法論』第12章をもとにして『自由海論』を著わそうという考えに至ったのは1608年11月のことであったといわれる。オランダのスペインに対する独立戦争の和平交渉が1607年からはじめられたが、スペインは当時密接な関係にあったポルトガルの立場を支持してオランダが東インド通商に参加することに難色を示した、スペインはオランダ独立を承認する代わりに東インド会社のアジアから撤退することを要求した。これに対し東インド会社はオランダがスペインに譲歩することを嫌い、オランダ国内の世論に東インドとの交易の必要性を訴えるためにグロティウスに要請し、グロティウスが著わしたのが『自由海論』であったといわれる。なぜグロティウスは『自由海論』のみを出版し『捕獲法論』を未刊のままとしたのかについては定かではなく様々な憶測があるが、九州大学法学部教授伊藤不二男は東インド会社の活動がオランダ国民に大きな利益をもたらすことが明らかとなって会社に対する批判が少なくなったために、もともと会社を擁護するために書かれた『捕獲法論』を刊行する必要がなくなったからではないかと指摘する。あるいは同じく九州大学...

    『捕獲法論』発見

    グロティウス死後の1864年、グロティウスの子孫コロネー・ドゥ・フロート家においてグロティウスの原稿がみつかり、同家の依頼でこの原稿がオランダの書店マルティヌス・ナイホフで競売にかけられた。このなかに「未刊の自筆の原稿。第12章の一部だけが、自由海論の表題で1609年に公刊された。」という目録が付された全280頁の原稿が発見された。これが 『捕獲法論』である[注 2]。このときまで『自由海論』ははじめから独立した著書として書かれたものであると信じられていた。この『捕獲法論』の原稿はライデン大学法学部が落札し1868年に公刊された。#『捕獲法論』第12章との比較も参照。

    すでに述べたように『自由海論』は『捕獲法論』の第12章として書かれたものであったが、完全に同一というわけではない。『捕獲法論』第12章では『捕獲法論』の他の章と関連して述べられていた部分が除かれ、分量としてはおよそ7分の5が『自由海論』としてまとめられた。まず『自由海論』では『捕獲法論』第12章のまえがきに相当する最初の1頁程度が削除され、それに代わり序文「キリスト教世界の諸君主と自由な諸国民に対して」が加えられている。また不当な通商の禁止が戦争の正当原因となることが述べられた『捕獲法論』第12章のおわり約18頁半程度が削除され、その一部が『自由海論』では全体の結論を述べた第13章として書きかえられているが、これは通商の自由を主題とした『自由海論』では不要であったためといわれる。これらの修正によって論旨は大きく変化している。また『自由海論』第1章の書き出し3行程度の文章と、『自由海論』第12章のおわりのところも『捕獲法論』の該当する個所をそのまま用いた文章ではなく、『捕獲法論』の他の個所にある記述をここに加えたり、『捕獲法論』にはあった記述を省いたりといった修正がみられる。これら以外にも、用語が訂正されたり文章が省略されたところが確認される。『捕獲法論』は前述のとおり1603年に東インド会社がポルトガルの商船カタリナ号を捕獲したことを弁護するために書かれたものであったが、その構成は大きく分けて3つにわけることができる。第1はグロティウスの法律思想や正当戦争、捕獲権行使に関する基礎理論であり、第2がオランダ人に対するポルトガル人の通商妨害やカタリナ号捕獲事件に関する歴史的事実、そして第3が第1の部分(基礎理論)を第2の部分(歴史的事実)に当てはめカタリナ号捕獲の正当性を論証し、問題の解決を図ったものである。『自由海論』のもととなった第12章はこのうちの捕獲の正当性を論証した第3の部分に当たるが、この第3の部分も3つに分けられる。第1は法律的見地からの論証(第12-13章)、第2は道徳的見地からみた論証(第14章)、そして第3が有利、有益という見地からみた論証(第15章)である。第12章は全体からみれば法律的見地からみた論証を行った個所の一部であり、具体的には私戦という観点からのみ論証した部分であった。つまり『捕獲法論』第12章はもともと、東インド会社が行った戦争...

    影響を受けた先人

    グロティウスが海洋の自由や通商の自由を述べるにあたって論拠としたのは、 普遍的人類社会の思想である。つまり、すべての人間は人間の本質に従い普遍的な社会を構成し、その社会ではすべての人に当てはまる共通の法(万民法)が存在し、その法によりすべての人に基本的な権利が保障される、という考え方である。『自由海論』に示されたグロティウスのこうした思想に影響を与えた先駆者として、まずフランシスコ・デ・ビトリアが挙げられる。ビトリアは著書『インディオについての特別講義』(Relectio de Indis)の中で、普遍的人類社会の思想を背景にすべての人は自由に交通して他の民族と交際する基本的な権利を有することを述べた。ビトリアが主として説いたのは交通権の理論であって海洋の自由についてはそれほど詳しく述べていたわけではなかったが、グロティウスよりも以前に海洋の自由を説いた代表的な学者のひとりであり、実際に『自由海論』の各所でビトリアの説の引用がみられる。また『自由海論』では、そのビトリアの影響を受けたスペインの学者フェルディナンド・バスケスの言葉も詳細に引用している。特に第7章では、普遍的人類社会...

    自然法と万民法

    グロティウスが述べる自然法と万民法の関係は複雑である。グロティウスは『自由海論』、ひいては『捕獲法論』の中で、自然法を第一の自然法と第二の自然法、万民法を第一の万民法と第二の万民法にわけて論じている。第一の自然法とは神の意志のあらわれであり、人間だけでなくすべての神の被創造物に当てはまる共通の法としている。第二の自然法とは第一の自然法が理性を有する人間に反映したもので、そのため第二の自然法は理性を有する人間にのみ共通の法だとしている。さらに第一の万民法とは、全人類の合意に基づく法であり、理性を有する人間に共通な法であることからグロティウスは第一の万民法を第二の自然法と同一視する。これに対し第二の万民法とは、第一の万民法と市民社会の法との混合の法であり、グロティウスは第二の万民法を実定法だと論じている。『自由海論』は主にオランダや東インド会社の主張を正当化するために出版されたものであるため、自然法や万民法の関係について述べている個所は限定されており、これらの関係について全面的に述べている個所はない。そうした『自由海論』の中で自然法と万民法の関係についてまとまった形で述べているのは第...

    英蘭漁業紛争

    オランダとスペインの紛争は1609年から1621年までの休戦状態を除いて1648年のミュンスター条約締結まで続き、結局『自由海論』が両国の和平交渉に資することはなかった。そればかりか、『自由海論』の刊行はオランダとイギリス間の1世紀以上にも及ぶ論争の発端となってしまった。イギリス国王ジェームズ1世は『自由海論』に触発され、同書が出版された直後の1609年5月にイギリス沿岸の海における漁業を規制する旨の布告を発した。こうした情勢の中でイギリスとオランダは東インドとの香辛料の貿易について交渉を行うこととなり、1613年3月22日、グロティウスはオランダ東インド会社の通商を巡るイギリスとの交渉のための外交使節団の一員に任命され、ロンドンに行くこととなる。イギリスでは1614年にグロティウスの名が記された『自由海論』オランダ語訳が出版される前の1613年には、『自由海論』の著者がグロティウスであることが知られていたといわれる。この交渉において『自由海論』で海洋や通商の自由を説いたグロティウスは、東インドとの香辛料貿易の実質的独占をねらうオランダの立場を弁護することを任務としたのである。こ...

    海洋論争

    学説上もグロティウスが説いた海洋の自由の理論に対しては多くの学者が反論し、1610年代から30年代にかけて『自由海論』に反駁する著書が多く出版された。例えば自国を擁護する観点から、ポルトガルのセラフィム・ジ・フレイタスは『アジアにおけるポルトガル人の正当な支配について』(De justo imperio Lusitanorum asiatico, 1625)を、スペインのフアン・ソロルサノ・ペレイラは『インド法』(De Indiarum jure, 1629)を著わした。またイギリスのウィリアム・ウェルウッドは『海法要義』(An Abridgement of All Sea-Lawes, 1613年)、『海洋領有論』(De dominio maris, 1615年)などを著わしグロティウスに反論した。ウェルウッドの反論に対しグロティウスは『ウィリアム・ウェルウッドによって反論された自由海論第5章の弁明』(Defensio Capitis Quinti Maris Liberi Oppugnati a Guilielmo Welwodo)を執筆し再度海洋の自由を主張しようとしたが、...

    公海自由の確立

    その後諸国は『自由海論』で説かれた理論を大筋で採用する方向へと向かっていく。それは、公海を領有するのに必要な費用に比べ、領有した場合に得られる見返りの少なさからグロティウスの結論が支持されていったためであるといわれる。例えばザミュエル・フォン・プーフェンドルフは、海の占有自体は陸地から管理したり軍艦による監視などで不可能ではない(グロティウスの自然的理由の否定)とはしたものの、実際にはこうした管理を行うのは非常に困難でそれに報いるだけの収益も期待できないとしたのである。しかし同時にプーフェンドルフは、海の使用法の中には確かに航行のような他人に害を与えない活動もあるが、漁業のように資源が無尽蔵ではないものや、海岸に近接した外国軍艦の航行のように沿岸住民に脅威を与えるような使用法もある(グロティウスの道徳的理由の否定)とし、そのため沿岸の住民が自国沿岸の海を自国の海とすることには正当な理由があると説き、逆に沿岸に近接する海を超えて大洋の独占を主張し他国の平和的な航行までを禁じることは許されないとした。つまりプーフェンドルフは沿岸海域と大洋とを区別して論じたのである。「海洋論争」の時代...

    伊藤不二男「グロティウス『捕獲法論』の研究序説 : 国際法学説史の研究」『法政研究』第29巻1/3、九州大学法政学会、1963年、 239-255頁、 ISSN 03872882。
    伊藤不二男「グロティウスの『自由海論』と『捕獲法論』第一二章との比較 : 国際法学説史の研究」『法政研究』第36巻2/6、九州大学法政学会、1970年、 465-487頁、 ISSN 03872882。
    伊藤不二男「グロティウス『自由海論』の分析」『法政研究』第39巻第2/4号、九州大学法政学会、1973年、 347-394頁、 ISSN 03872882。
    大澤章「海洋自由論の研究(二) : フーゴー・グロティウスの「自由海論」について」『法政研究』第11巻第2号、九州大学法政学会、1941年、 1-60頁、 ISSN 0387-2882。
  8. 軍用機事故の一覧 - Wikipedia

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    軍用機事故の一覧(ぐんようきじこのいちらん)では、軍用機が平時の訓練や航空ショーなどで起こした航空事故について記述する。 日本国内で発生した在日米軍(進駐軍)による航空事故は、日本におけるアメリカ軍機事故の一覧を参照のこと。

  9. 殺人 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 故殺
    • 種類
    • 法律
    • 犯行
    • 統計
    • 宗教と殺人
    • 脚注
    • 参考文献
    • 関連項目

    通常の殺人と比較して残酷な動機・手法で行われる殺人を猟奇殺人(りょうきさつじん)と呼ぶこともある。猟奇殺人を題材とした作品のことを猟奇作品(りょうきさくひん)、スプラッタと呼ぶ。これらの作品が凶悪犯罪の低年齢化を助長しているとの批判もある(メディア効果論を参照)。 また、一度に大人数の人を殺すことを大量殺人と呼び、その犯人はスプリー・キラーと呼ばれる。さらに、時系列的に1人ずつ大人数を殺していくことを連続殺人と呼び、その犯人をシリアルキラーと呼ぶ。これらの行為が何らかの政治的・思想的な意図を持って行われた場合にはテロリズムとも呼ばれる。 一方、殺人は個人対個人、個人対集団のみで行われるだけでなく、何らかの意図を持った集団によって個人あるいは複数人を殺すケースもある。このようなケースは集団殺人と呼ばれ、これも政治的・思想的な意図を持って行われた場合にはテロリズムとも呼ばれる。 強盗の末に殺人を犯す場合もあり、これを強盗殺人という。これは強盗の被害者に抵抗されたために捕縛から逃れるため、あるいは被害者に犯行を目撃されたために口封じをする、あるいは発覚を遅らせるために殺害する場合がある。場合によっては非常に大きな量刑となる場合がある。

    2020年現在、全ての国で殺人は禁止されている(殺人罪)。 ただし、日本の刑法典では「急迫不正の侵害に対して自己または他人の権利を防衛するため」または、一定の条件のもとで「自己または他人の生命・身体・自由または財産に対する現在の危難を避けるため」やむを得ず故意で人を死に至らしめた場合にはそれぞれ「正当防衛(刑法第36条第1項)」「緊急避難(刑法第37条第1項本文)」が成立することにより違法性が阻却されるため(通説)殺人罪は成立しない。具体的な例としては、包丁を持って自身を襲ってきた者に対し、抵抗し揉み合いになった際に相手の包丁で刺し殺してしまった場合、これは正当防衛が適用される。 加害者の故意が認められない場合は法的には殺人とはされないが、別の罪(傷害致死罪、過失致死罪、危険運転致死傷罪等)に問われることがある。また、明確な殺意を持っていなくとも、自身の行為によって相手の生命を奪う可能性を認識していた場合には「未必の故意」を問われる可能性がある。 胎児を殺すこと(中絶すること)については、扱いは国や地域によって異なっており、認めている国も禁止している国もある。 組織的に人を殺すこともやはり殺人には変わりない。ただし国によっては、刑罰として人を殺すこと(死刑、死刑執行)については殺人罪に問われないようにして、(一応)合法としていることも多い。ただし、死刑に関しては賛否両論で世論が割れることは多い(死刑存廃問題)。死刑執行命令を出す権限を持つ人物が(日本においては法務大臣)、自身の信念などに基づいて執行命令を出すのを控えることはある。また法的な枠組みとしては死刑が認められていても、恩赦等の政治的・行政的な措置によって死刑が行われることを回避するということもしばしば行われている。なお政権が国民の支持を失い交代すると、前政権にはそもそも正当性がなかったとして、死刑執行命令を出したことも違法な行為だったとして、遡って以前の権力者が殺人罪に問われ裁かれることもある。 戦争が起こっている際に、政府の正規軍等が戦時国際法の規定の範囲で戦闘行為を行い、その結果、人を殺しても罪には問われないということになっている。ただし、兵士はどんな殺人をしてもよいなどと規定しているわけではなく、あくまで国際法の範囲内の行為に限る。必要性・必然性の無い殺人を行った場合は罪に問われる。また政府軍・...

    方法

    殺人は相手の人物の生命活動を不可逆的に断つことが目的であり、その手段は古今東西枚挙に暇がない。 動物は基本的に、全ての生体活動を司る脳の機能停止、呼吸器系・循環器系の遮断、物理的な打撃・火傷・感電等による身体の損傷や失血死、毒物や毒ガス等による呼吸不全や臓器不全、酷暑や酷寒といった苛烈な環境に置くことによる衰弱、水や栄養を断つことによる衰弱・栄養失調によって不可逆的に死に至る。よって、手段を簡潔に例示すれば、絞殺・刺殺・銃殺・殴打・放火・電撃等の頭部や身体への物理的な攻撃、毒物・毒ガス、苛烈な環境への放置、水分や栄養の遮断等が挙げられる。それらの行為は広義では死刑執行、戦時中においてさえ「殺人」と言える。 そして、それらを自身に対して行った場合(縊死、自刃、飛び降り、鉄道自殺、服毒自殺等)には前述の通り自身に対する殺人行為と言える。

    動機

    動機も千差万別であるが、殺人はどの国においても重罪であり、宗教・思想・感情的に忌避される。実行やその後の隠蔽工作にも大変な労力を伴うため、特定個人を殺害する場合や大量殺人、快楽殺人においてさえ、よほど強い動機を持つか、あるいは切迫した状況下でなければ人は殺人を犯さない。 まず、特定個人に対する殺意を持つ場合であるが、何らかのトラブルや嫌がらせ、考えの相違等によりその人物に対して強い憎悪を抱き、抹殺したいという思いを強くする場合が挙げられる。大量殺人や連続殺人においては対象が複数人に及ぶ。これは個人的な怨恨による殺人が挙げられる。対立する人種や宗教の人物を狙った大量殺人もある。 また、自身が犯した別の犯罪や公表されたくない秘密を相手が握っており、特に脅し等それを暴露することが切迫している場合、口封じのために殺す場合もある。前述の強盗殺人もこれに当てはまる部分がある。 一方、人を殺すことそのものを目的とするケースには大量殺人や快楽殺人が挙げられる。これは社会に対する不満を訴える手段、社会的な注目を浴びたいという欲望、人を殺すことに快楽を覚える場合等がある。

    隠蔽

    全ての国家では殺人は罪に問われるため、他の犯罪にも言えることだが、ごく一部の猟奇殺人のケースを除き、自身が警察等の法治組織に逮捕されることを防ぐため、自身が殺人を犯したこと、また殺人行為そのものの隠蔽を図る必要がある。その方法もまた枚挙に暇がない。 前者においては、自身が殺人を行ったことを隠蔽するには、殺人の起こった時刻にその場に居合わせることが不可能だったことを示唆する(アリバイ工作)、殺人が起こった場所の何者かが入った痕跡を消す・残さない(密室殺人)、被害者と自身の接点や動機を隠す、被害者の自殺に見せかける偽装自殺が一般的に行われる。また後者においては、死体遺棄、バラバラ殺人等の方法で遺体を隠し、あるいは消滅させ殺人の痕跡を消し去る工作をする。 また、殺人の存在が明るみに出、自身の犯行であることが明らかにされても、長期間の逃亡を図り法治機関の逮捕を免れようとする場合もある。

    UNODC (United Nations Office on Drugs and Crime)による2018年(台湾、北朝鮮は2015年)主な国の人口10万人当たり殺人既遂発生率は、アメリカ合衆国5.0件、イギリス1.2件、ドイツ0.9件、イタリア0.6件、フランス1.2件、スウェーデン1.1件、オーストラリア0.9件、スイス0.6件、ロシア8.2件、中国0.5件、台湾0.8件、韓国0.6件、北朝鮮4.4件、日本0.3件である。世界で最も低い国・地域はシンガポールの0.16件であった。逆に最も高い国・地域はエルサルバドル 52.0件(2019年は35.6件)であり、人口約664万人で、 2016年以降減少しているものの、既遂件数3,340件であった。これほど多い理由の一つに、ギャングの活動が絡んでいると言われている。因みに、人口が近い千葉県は2019年で未遂含めて47件である。

    ほとんどの宗教では、基本的に殺人は行ってはいけないこととして扱われている。例えば、仏教の五戒においても不殺生戒があげられている。しかし、世界宗教の多くの聖典には暴力や殺人を正当化できる理論や実例が含まれており、歴史的に多くの宗教戦争や事件が起きている。 輪廻の考えを持つ仏教には、現世のすべては虚妄であるという「空」の理論と、殺人より正法を誹謗中傷することのほうが罪が重いという教えがあり、これらが仏教を巡る多くの暴力の口実となってきた。 セム型一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、同じ信仰を共有する集団のための宗教として発展してきた。旧約聖書やクルアーン、ハディースでは条件付きながら異教徒の撲滅や殺人を推奨しており、非暴力を説いた新約聖書を聖典とするキリスト教も、必要な時は旧約聖書を引いて暴力を正当化している。 以下では、殺人だけではなく、殺人を含む戦争や侵略などの暴力に関する各宗教の見解について概説する。

    1. ^ 日本の旧刑法(1908年(明治41年)に廃止)では、「故殺」(こさつ、一時の感情による無計画な殺人)と、謀殺(ぼうさつ、計画的な殺人)とを区別していた。

    殺人念慮(英語版)(殺人衝動、Bloodlust)
    殺害方法(英語版)
  10. Netflixオリジナル番組の終了作品一覧 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › Netflixオリジナル番組の終了

    当記事は終了したNetflixオリジナルTV番組の一覧である。 終了の発表のあった作品に加え、発表はないものの最終配信から1年以上が経過した作品、さらにミニシリーズ、特番については最新の5月末までに配信が完了した番組を終了したと見なし、本記事に掲載する。

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