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  1. おくのほそ道 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › おくのほそ道

    『おくのほそ道』(おくのほそみち)は、元禄文化期に活躍した俳人 松尾芭蕉の紀行及び俳諧。元禄15年(1702年)刊。 日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、芭蕉の著作中で最も著名で「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という序文より始まる。

  2. 11eyes -罪と罰と贖いの少女- - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 11eyes_volume7_OVA_Special

    『11eyes -罪と罰と贖いの少女-』(イレブンアイズ つみとばつとあがないのしょうじょ)は、2008年 4月25日に発売されたLassの第4作目のアダルトゲームソフト。美少女ゲームアワード2008では主題歌賞で金賞、BGM賞では銀賞を受賞している [1]。 2009年 8月より「月 ...

    • Windows 2000/XP/Vista(PC), Xbox 360・PSP(CrossOver)
    • Lass(PC), 5pb.(Xbox 360・PSP)
  3. アテルイ - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 大墓公阿弖利爲

    アテルイらの根拠地である胆沢はすでに征服されており、北方の蝦夷の首長にはすでに服属していた者もいたため、アテルイらは進退きわまっていたものと思われる 。. 田村麻呂へ並び従い盤具公と共に平安京へと向かった大墓公は、延暦21年 7月10日 (802年 ...

  4. 中国大返し - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 中国大返し
    • 高松城攻めと本能寺の変
    • 中国大返し
    • 山崎の戦い
    • 歴史的意義
    • 参考文献
    • 関連項目

    備中高松城攻め

    主君織田信長より中国路平定を目的とした中国方面軍の軍団長に任じられていた羽柴秀吉は天正10年(1582年)3月、播磨姫路城(兵庫県姫路市)より備前に入り、3月17日に常山城(岡山市南区)を攻め[注 1]、4月中旬には備前岡山城(当時は石山城)の宇喜多秀家の軍勢と合流、総勢3万の兵力となって、備中日畑城(日幡城、岡山県倉敷市)、備中冠山城(岡山市北区)、備中庭瀬城(岡山市北区)、備中加茂城(岡山市北区)など、備前・備中における毛利方の諸城を陥落させていった。一方で秀吉は動揺する毛利水軍への調略も行い[注 2]、4月14日には毛利水軍に帰属していた伊予の村上水軍の来島氏と能島村上氏を帰順させている。 備中高松城(岡山市北区)の城主清水宗治は、織田・毛利両陣営双方から引き抜きを受けたが、織田氏からの誘いを断り毛利氏に留まった[注 3]。秀吉は、僅か3,000人の兵員しか持たない高松城を攻めるのに、城を大軍で包囲して一気に殲滅する作戦を採った。しかし、秀吉は苦戦を余儀なくされた。そこで、秀吉は主君信長に援軍を要請し、信長もまた家臣明智光秀を派遣することを伝えたが、同時に高松城攻略に専心す...

    本能寺の変

    明智光秀は甲州征伐から帰還した後、5月15日に信長の命により長年武田氏との戦いで労のあった徳川家康の接待役を拝命した。しかし、同日に秀吉から信長にあてた中国攻めの援軍要請の書状が届き、備中猿掛城(岡山県倉敷市・矢掛町)に本陣を置く毛利輝元が高松城親征に乗り出すことも報じたため、17日、光秀は接待役を中途解任され、すぐに安土城(滋賀県近江八幡市安土町)から居城の近江坂本城(滋賀県大津市)へ立ち帰って秀吉援護の出陣準備に取りかかるよう命ぜられた。光秀は安土から坂本へ、さらに丹波亀山城(京都府亀岡市)に移って出陣の準備を進め、5月27日、丹波・山城国境の愛宕山威徳山(京都市右京区)に参籠して戦勝祈願の連歌の会(愛宕百韻)を催した。光秀はその時「時は今 天が下知る 五月哉」の発句を詠んだことで知られている。 一方の信長は5月29日に秀吉の援軍に自ら出陣するため小姓など70名ないし80名のわずかな供回りを従え、留守を蒲生賢秀に託して安土城を発ち、同日、京の西洞院四条坊門の本能寺(京都市中京区)に入って、ここで軍勢の集結を待った。信長の嫡男で美濃岐阜城(岐阜県岐阜市)の城主織田信忠は同時に京...

    変の報せと各将

    信長の死は、各地に伝えられた。 丹羽長秀は神戸信孝と共に四国平定の任を負い、副将の三好康長、蜂屋頼隆、津田信澄と共に大坂及び堺で渡海作戦にとりかかっていた。5月29日、信孝軍は摂津住吉に着陣し、また津田・丹羽勢は大坂、蜂屋勢は和泉岸和田に集結して、当初6月2日予定の渡海に備えていた。変報は6月2日午前に伝わったとみられる。津田信澄は信長の弟織田信行の子で、近江高島郡大溝城(滋賀県高島市)の城主であったが、光秀の婿であったため内通を疑われ、6月5日、信孝と長秀の軍勢に襲撃されて野田城(大阪市福島区)で信孝家臣の峰竹右衛門、山路段左衛門、上田重安によって殺害された。京に近い大坂・堺にあった長秀と信孝は、光秀を討つには最も有利な位置にあったが、逆に緘口令が徹底できなかったため兵の多くが逃亡し、やむをえず守りを固めて羽柴軍の到着を待つ形となった。 柴田勝家は、北陸戦線にあって上杉景勝の支配する越中魚津城(富山県魚津市)を攻略中であり、6月3日の午前6時頃魚津城を陥落させ、その直後、余勢を駆って越後へ向かおうとしていた矢先に変報が届いた。勝家は後事を前田利家、佐々成政らに託し、直ちに魚津か...

    秀吉と高松城陥落

    羽柴秀吉が、「信長斃れる」の変報を聞いたのは6月3日夜から4日未明にかけてのことであった[注 6]。『太閤記』では、光秀が毛利氏に向けて送った密使を捕縛したことを説明している。『常山紀談』では、秀吉が所々に忍びを配置しており、備中庭瀬(岡山県岡山市北区庭瀬)で怪しい飛脚を生け捕りにしたところ「信長を打ち取らば、秀吉必ず敗北すべし。秀吉を追い撃たれよ」と毛利側へ送る密書を持っていたとしている。また、京の動向を知らせるよう依頼していた信長側近で茶人の長谷川宗仁の使者から知りえたともいわれている。なお、光秀の密使としては明智氏家臣の藤田伝八郎の名が伝わっており、岡山市北区立田には「藤田伝八郎の塚」が現在も残っている[注 7]。戦国史研究者の渡邊大門は、秀吉が上方の情報全般を入手するための使者を配置していた可能性を指摘している。 秀吉は変報が伝わると情報が漏洩しないよう備前・備中への道を完全に遮断し、自陣に対しても緘口令を敷いて毛利側に信長の死を秘して講和を結び、一刻も早く上洛しようとした。また、変報が伝わった際、黒田孝高は傍らで主君信長の仇を討つよう進言したという逸話がある[注 8]。...

    姫路への撤退

    「中国大返し」における姫路までの行軍の実態はよくわかっていない部分も多いが、経路は山陽道の野殿(岡山市北区)を経由するルートがとられたものと考えられる。 このルートについて湯浅常山の著書『常山紀談』巻の五によると、宇喜多が明智光秀に通じており、長臣老将の面々が「秀吉の帰路を塞ぐべきや、如何せん」「さらば城中にて討取るべし。願う処の幸なり」と相議して秀吉を討取ろうとしていたが、秀吉は、6月7日の明け方に備中高松から岡山に行くと嘘の情報を流して宇喜多を欺き、「奥州驪(おうしゅうぐろ)という名馬に乗り、雑卒に交じり吉井川を渡り片上(備前市)を過ぎ、宇根(兵庫県赤穂市有年)に馳せ著けたれば馬疲れたり」としており、野殿や沼城に立寄ったとは書かれておらず、逆に討取られるのを恐れたのか、宇喜多の勢力圏内から逃げ帰るように播磨まで駆け抜けたとしている。『梅林寺文書』では五日には野殿に在陣していたとある。 秀吉軍が備中高松城の陣を引き払って撤退し、備前沼城(岡山市東区)へ向かって「中国大返し」を開始したのは、清水宗治の自刃を見送ってすぐの6月4日の午後 とする見解と、高柳光寿、池享、藤田達生らをは...

    秀吉が富田に着陣した頃から、既に光秀軍との前哨戦が始まっていた。光秀が駐留していた勝竜寺城付近で既に鉄砲を打ち合っていることが確認されていることより、秀吉には遊撃軍のような部隊があって、偵察も兼ねて背後より光秀を攻撃しようとしていたことが覗われる。勝竜寺城はかつて細川氏の居城であったが、丹後移封後は村井貞勝の与力矢部善七郎、猪子兵助が守備にあたっていた。光秀はその矢部氏より勝竜寺城を奪ったのである。 6月12日夜、富田で一夜を過ごした秀吉は、6月13日(ユリウス暦では1582年7月2日、グレゴリオ暦換算では7月12日)朝には同地を出発し、決戦の地山崎へと向かった。光秀もようやく本陣を下鳥羽から御坊塚(京都府大山崎町)へ移して戦線を円明寺川一帯へとひろげた。 山崎は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流して淀川となって大坂湾に流れ込む結節点となっており、現在でも、新幹線をふくむ鉄道や高速道路を含む幹線道路が何本も集中する土地柄である。また、中世を通じて灯明油の販売で発展し、「大山崎惣中」なる自治組織と特権を認められてきた町でもあった。 本能寺の変の翌日、山崎では光秀より禁制を得て、軍勢の狼藉や陣取り・放火の禁止、兵糧米賦課免除に成功した。光秀から禁制を得たことは、とりあえずは光秀を信長の後継者たる為政者とみなしたこととなる。無論、禁制の対価として光秀に対しては金銀が支払われた。しかし、ここに秀吉軍が侵入するという段になって、富裕な町であった山崎も混乱を極めた。もう一方の総大将である信孝からも禁制を得て掠奪や狼藉から免れようとしたが、山崎が激戦の舞台となることは、もはや避けられなかったのである。 秀吉が山崎に着陣したのは13日の昼頃であり、宝積寺(京都府大山崎町)に本陣を置いた。梅雨の季節ということもあって雨も降りしきっていたという。この戦いに先立って、勝敗の行方を決すると見なされていた天王山は、既に先遣隊の中川清秀らによって占拠されていて、高山右近隊も山崎の町に入って西国街道の通る関門を手中に収めた。この時、秀吉本隊は池田恒興らと共に右翼の川手方面を進んでいる。 申の刻(午後4時頃)、光秀軍の先鋒並河易家・松田政近隊ら丹波衆による中川清秀・黒田孝高・神子田正治隊への攻撃が始まり、秀吉軍は反撃を開始した(『兼見卿記』)。近くに居城を構える清秀・右近らは山崎周辺の地理に...

    本能寺の変は、上述したように、畿内中央において一種の戦力の空白状態となっているところへ、光秀には中国攻めへの加勢という大軍を動かす名分と理由があり、一方で主君信長は70人ほどの小姓衆とともに本能寺に投宿するという状況下で起こった。光秀からしてみれば、信長を弑逆するのに、これ以上はないという好条件の揃った、絶妙なタイミングでの謀反であった。 そしてここには、仮に遠征中の諸将が本能寺の変を知ったとしても、戦線を撤収して光秀を討つべく反転し、京都に攻め上ってくるのには時間がかかるであろうとの読みがあったと思われる。また、諸将が対戦している当の敵(毛利氏、上杉氏など)と光秀自身とが同盟し、織田方の諸将を挟撃する体勢にもっていければ、さらに時間を稼ぐことができるものと判断したであろうことは、光秀が毛利氏などに変報を伝えようと伝令を発していることからもうかがわれる。 もし、そのように時間的な余裕をつくりだすことに成功すれば、その間、朝廷を味方につけたうえで自らの後ろ盾とし、軍事的には、畿内中央ほか近江や美濃など信長の領国の核心部を制圧して、仮に遠征中の諸将が合同して光秀に立ち向かったとしても、ある程度の余裕をもって対抗できる勢力をそこに培うことが可能であるという見通しがあったものと思われる。そのことは、上述した光秀の細川幽斎宛ての6月9日付書状にも、50日、100日のうちには近国を固め、その後を忠興らに託したいとの文章があることからも窺える。 秀吉の迅速果敢な中国大返しの大行軍は、このような光秀の読みや見通しを覆す効果を有していた。光秀・秀吉はともに「時間が勝負」であるという認識をもっていたと思われるが、結果からみれば、光秀はそれに失敗し、わずか10日以内に中国地方から京に駆けつけた秀吉は大成功をおさめたことになる。たまたま大返しの通路が自軍側の土地で、中継基地として軍事物資の集積されていた姫路城を利用できたという幸運を割り引いても、その行動は見事であり、大返しの成功は、謀略ではなく幸運の産物である。光秀は、羽柴軍の予想を上回る速い進撃に対応が遅れたといえる。 このことについて、ルイス・フロイスは光秀の失敗は、彼が摂津の諸城を占領して、諸大名から人質をとらなかったことに起因するとしている。藤田達生もまた、光秀にとって最も深刻たるべき誤算は、従前彼の組下であった中川清秀、高...

    高柳光寿『明智光秀』吉川弘文館〈人物叢書〉、1958年9月。
    安田元久 『戦乱』 近藤出版社〈日本史小百科18〉、1984年6月。
    熱田公 『天下一統』 集英社〈日本の歴史11〉、1992年4月。ISBN 4-08-195011-3。
    池上裕子; 池享; 小和田哲男 他編 『クロニック戦国全史』 講談社、1995年12月。ISBN 4-06-206016-7。
  5. 曾良旅日記 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 曾良旅日記
    • 概要
    • 内容
    • 伝来
    • 『おくのほそ道』研究への影響
    • 参考文献
    • 外部リンク

    本書は縦11cm、横16.6cm、厚さ2cm、藍色の元表紙で紙敷・表紙裏の2枚を入れてちょうど100枚あり、中に白紙が4枚のほか貼り足された鰭紙が11枚ある。内容の上からは延喜式神名帳抄録、歌枕覚書、元禄二年日記、元禄四年日記、俳諧書留、その他雑録の6部に分けられるが、本書には外題も内題もなくすべて仮称である。『曾良日記』、『随行日記』などともいう。芭蕉の『おくのほそ道』とは異なり情緒的表現は一切見られず、地名や区間距離など事実を正確に書きとめている。ドナルド・キーンは『おくのほそ道』と本書の関係性を、シャトーブリアン子爵の旅行記『パリからエルサレムへの旅程』とその従者ジュリアンによる、妥協無く正確に日付を記した日記に比較している。また本書における時刻表記は、江戸時代の中期においては最も詳しく記述しているものとして有名である。十二支で表し、時間分を3等分して上刻・中刻・下刻とする定時法による表現が多く見られ、不定時法はあまり使われていない。神社を訪れた際には「参詣」「拝ム」と記述するのに対して、寺は「見学」「見ル」等と記しているのは神道家でもあった曾良らしいといえる。

    延喜式神名帳抄録

    吉川惟足に神道を学んだ曾良が、奥州行脚に備えて『延喜式神名帳』より旅程に従い北国の古社を抄録したもの。本書の冒頭より12丁裏の前半までに記される。

    歌枕覚書

    奥州行脚に備えて、通過を予定する地の歌枕をまとめた覚書。記載の形式より、そのほとんどが『類字名所和歌集』[* 1]及び『楢山拾葉』[* 2]を基に書き出したと見られる。12丁裏の後半より8丁にわたって記される。余白には旅行中の知見が書き加えられ、余白が無い場合は鰭紙を足して記入されている。「名勝備忘録」とも呼ばれる。

    元禄二年日記

    いわゆる「奥の細道随行日記」とはこの部分を指し、33丁半にわたり記される。元禄2年3月の深川出立より8月5日に芭蕉と別れて伊勢長島へ先発するまでについては、奥州行脚における実際の日付・天候・旅程・宿泊その他の芭蕉主従の動静が記されており、『おくのほそ道』との比較対照によって芭蕉の制作意識を探求する重要な資料となっている。9月3日に大垣で芭蕉を迎え、11月13日に曾良が江戸深川に帰庵するまでが記されている。

    原書は「曾良本」と呼ばれる『おくのほそ道』の写本と共に古い桐箱に収められ、両書は師弟伴って伝来した。 本書は曾良が九州巡検使に随行して1710年(宝永7年)に壱岐国で客死した際、芭蕉の弟子の中でも曾良と最も親しい仲であった杉山杉風の手許に預けられていた。杉風の子、杉舎と義兄弟であった紫江坊柏舟はその著『俳諧六指』の9巻目に、杉風が1719年(享保4年)ごろ本書を持っていたという逸話を載せている。その後曾良の生家である高野家へ送られ、1740年(元文5年)に高野家が断絶したため、曾良の母の生家である上諏訪の河西家が管理するものとなった。当主河西周徳[† 2]は曾良の姉の子を娶って曾良を叔父と慕っており、本書や『おくのほそ道』などから曾良の遺稿集『雪丸け』を編纂した。 その後は久保島若人[† 3]の手に渡った。仙台の竹林舎曰人[† 4]の『蕉門諸生全傳』の曾良傳には、若人が「曾良日記」を伝持したとある。また芦陰舎竹斎[† 5]が1810年(文化7年)に刊行した俳書『句安奇禹度』では、本書の表紙見返しにある仙台略図と九八丁表の「元禄二年七月廿日書之」の一行を「信州上諏方久保島氏にしてこれをうつす」として透写している。「諏訪史学会報」第1号(1967年5月1日発行)によれば、若人は本書を河西家より騙取したという。若人は本書の他掛軸や硯箱など8品を58両で買い受けたが、10両支払った後は言を左右して支払いをせず、また本書他は江戸へ売り払った。河西家は江戸の売り先に直談判したが応ぜられず、高島藩へ訴えた。藩では若人を取り調べ厳重に処分を与えたが、本書他の曾良の遺品は遂に戻らなかった。原書が納められている桐箱には「芭蕉翁正筆奥の細道、並曾良日記添」と記し1840年(天保11年)若人から助宣雅君へ宛てた譲状[* 3]が現在も残っている。 その後には、信州から売りに出て母里藩の松平志摩守が買い上げたという史料が残るのみである。本間契史[† 6]の本間文庫旧蔵本の中に、『奥細道菅菰抄』[* 4]があって、これに契史自身が「先年、信濃より出たりとて、祖師眞筆の草稿に、曾良が腰帳を添て売物に出たる事あり。松平志摩守との買上られたり」との朱注を入れている。 他の俳論書にも、本書に由来する記述が散見される。夜話亭雨考[† 7]の『青蔭集』には、曾良の覚書と見られる書を写すとして、本書の4...

    本書が再発見されて刊行される前は、例えば樋口功などはその著『芭蕉研究』において『雪丸け』などから旅行中の発句の姿を見るべきとするなど、間接的な資料を用いて考証を行っていた。。刊行後は、各発句の初案形を知るには「俳諧書留」を参照すればよく、必須の資料となった。 山本は本書を世に出すに際し、端書に「如斯日記が今日まで完全に残されてあつたことは私の思ひもつかぬ驚異であつた。奥の細道行脚の日より約二百五十年間、芭蕉研究に於ける汗牛充棟も啻ならざる文書記録等にも、未だ嘗て顕はれたことの無い史料である」と述べている。また志田は同書の序文において、「これによつて学会の蒙る裨益は蓋し大なるものがあろう」と評価し、従来『青蔭集』などにおける記述へ疑いの目が向けられていたことについては、「今度随行日記が現はれて見るとこれが全く逆になり却つてこの随行日記の存在を立証するものになるのである」として、また様々な傍証を挙げて曾良の真筆に間違いの無いものとしている。 この翻刻により『おくのほそ道』との間に多くの齟齬が指摘されることとなり、紀行の虚構性、また制作意識の問題が大きく取り上げられるようになった。もとより志田は本書の再発見に先立つ1942年に「芭蕉と制作意識」と題して奥州行脚の旅先で残された書簡などから、明らかに旅程順に沿わず配置された句や季語を変更した句があって旅行の事実のままではなくて、『おくのほそ道』には作為と虚構性が見られると世に問うていた。『国文学 解釈と鑑賞』は1951年に『奥の細道と曾良日記特輯号』を出し、本書の再発見を巡り様々な学説を併記した。中でも小宮豊隆は「曽良日記の真実性」と題して「芭蕉の記録の錯誤や芭蕉の記憶の混淆はある。然し芭蕉による意識的な虚構の痕は少しも見られない」との信念を表したが、後に杉浦や井本農一、阿部喜三男らが詳細に検討した結果、紀行の作為と虚構性は明らかであると、広く学会に定着した。 以後『芭蕉おくのほそ道・付曽良旅日記』(萩原恭男校注 岩波文庫)や『新訂おくのほそ道・附曽良随行日記』(潁原退蔵・尾形仂訳注 角川日本古典文庫)など『おくのほそ道』注解書の多くで「元禄二年日記」や「俳諧書留」を翻刻するようになった。 金森敦子は正面から「曽良旅日記」の解説を試み、他の時代の文献も参照し、旅をし、種々の発見をした。おくの細道の行程は450里前後であ...

    書籍

    1. ドナルド・キーン、金関寿夫訳 『百代の過客 日記にみる日本人』 講談社、2011年10月12日、633頁。ISBN 978-4-06-292078-0。 2. 上野洋三 『芭蕉論』 筑摩書房、1986年10月5日、362頁。ISBN 4-480-82219-4。 3. 岡田喜秋 『旅人・曾良と芭蕉』 河出書房新社、1991年12月10日、302頁。ISBN 4-309-00725-2。 4. 金森敦子 『「曽良旅日記」を読む ― もうひとつの『おくのほそ道』』 法政大学出版局、2013年9月9日、369頁。ISBN 978-4-588-32507-6。 5. 栗山理一; 井本農一; 中村俊定 『国語国文学研究史大成12 芭蕉』(増補版) 三省堂、1977年3月1日、630頁。 NCID BN0284991X。 6. 櫻井武次郎 『芭蕉自筆「奥の細道」の顛末』 PHP研究所、1997年10月12日、238頁。ISBN 4-569-55708-2。 7. 志田義秀 『芭蕉展望』 日本評論社、1946年4月25日、212頁。 8. 白石悌三「『おくのほそ道』の構想」、日本文学研究...

    辞典

    1. 上野洋三; 尾形仂; 草間時彦; 島津忠夫; 大岡信; 森川昭 「曾良旅日記」、加藤楸邨; 大谷篤蔵; 井本農一編 『俳文学大辞典』 角川書店、1995年10月27日、1184頁。ISBN 4-04-022700-X。 2. 杉浦正一郎; 久富哲雄 「曾良旅日記」、伊地知鐵男; 井本農一; 神田秀夫 他編 『俳諧大辞典』 明治書院、1957年7月10日、1008頁。ISBN 4-625-40005-8。 3. 松尾靖秋 「曾良旅日記」 『俳句辞典 近世』(増補版) 桜楓社、1977年5月30日、559頁。ISBN 4-273-00322-8。 4. 宮本三郎 「曾良旅日記」、日本古典文学大辞典編集員会編 『日本古典文学大辞典』(簡約版) 岩波書店、1986年12月2日、2026頁。ISBN 4-00-080067-1。

    紀要・論集

    1. 杉浦正一郎「曾良の「奥の細道随行日記」をめぐりて」『連歌俳諧研究』第1巻第1号、俳文學會、1951年11月1日、 57-61頁、 doi:10.11180/haibun1951.1951.57。 2. 中里重吉「『おくのほそ道』を通して見た紀行文学の性格」『中央学院大学論叢. 一般教育関係』第2巻第1号、中央学院大学、1967年11月10日、 89-109頁、 ISSN 0286-5726、 NAID 110001042220。

    国指定文化財等データベース 『奥の細道曽良随行日記〈自筆本/〉』 文化庁、1978年6月15日。http://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/8842。2019年12月6日閲覧。

  6. 神話・伝説の物一覧 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 神話的な物一覧

    神話・伝説の物一覧(しんわ・でんせつのものいちらん)は、世界各地の「神話・伝説・民話」に登場する物を網羅した一覧である。 すでに他の一覧にまとめられている項目・ページを圧迫しそうな項目は除外する。 近代・現代の創作に関しては、複数の創作に共通して ...

  7. ココロコネクト - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › ココロコネクト_ヒトランダム

    『ココロコネクト』(kokoro connect)は、庵田定夏によるライトノベルシリーズ。イラストは白身魚が担当し、ファミ通文庫(エンターブレイン)より、2010年1月から2013年9月全11巻(本編8巻、短編集3巻)が刊行されている。 また、これを原作としてドラマCD・漫画 ...

  8. 沙耶の唄 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 沙耶の唄
    • ストーリー
    • 登場キャラクター
    • 音楽
    • エンディングテーマ
    • スタッフ
    • 関連商品
    • 話題
    • 客演作品
    • 関連項目
    • 外部リンク

    医大生の匂坂郁紀は、交通事故に遭い生死の境をさまようが、奇跡的に助かる。しかし、大学に復帰した匂坂は、故意に嫌われるような言動をとり、自分の周囲から人を遠ざけようとする。友人達は彼を心配するが、匂坂には彼らから差し伸べられる救いの手にすがれないわけがあった。 匂坂は交通事故の後遺症で知覚異常を起こしており、すべてのものが醜悪かつ奇怪な形で見えるようになっていたのだ。街の建物は豚の臓物をぶちまけて塗りたくった様に、人間はおぞましい肉塊に見え、話す言葉は呻き声や金切り声に聞こえ、触れた感触ですら尋常ではなくなっていた。自分以外の全てが不気味でストレスのあまり狂いそうになる世界の中で、孤独な入院生活を過ごしていたある日、匂坂の前に沙耶という謎の少女が現れる。沙耶だけはなぜか普通の人間に見え、肉塊のような姿にしか見えない友人たちと違い、触れたときに温かみを感じることもできた。やがて匂坂は沙耶に惹かれ、彼女を自分の家へ招いて、一緒に暮らし始める。 しかし、それは真に訪れる狂気の世界への扉にしか過ぎなかった。

    匂坂 郁紀(さきさか ふみのり)

    1. 声 - 氷河流 2. 主人公の医大生。交通事故で両親を失い、自らも脳挫傷を負って生死をさまよっていたが、最新の医療技術による硬膜下血腫の除去手術によって身体的には回復し、大学に復帰した。 3. しかし、除去手術の後遺症の知覚障害により「世界が狂って見える」ようになり、風景や人物が不気味な肉塊のような姿形で見えるようになってしまい、そのストレスで性格も陰鬱なものへ変貌していく。 4. その狂った世界で唯一正常な姿に見える謎の少女・沙耶と暮らすようになり、彼女の父親である奥涯教授を探すことになる。

    沙耶(さや)

    1. 声 - 川村みどり 2. 郁紀の前に現れた謎の少女。失踪した父親を捜している。郁紀の狂って見える世界で正常に見える唯一の存在で、彼の精神的な支えになる。また彼女も、自分を愛してくれる郁紀に好意を寄せている。

    戸尾 耕司(とのお こうじ)

    1. 声 - 片岡大二郎 2. 郁紀の親友でサークル仲間。 3. 事故後豹変してしまった郁紀の態度を不審に思うものの、青海や瑤と共に以前の郁紀の人間関係を取り戻そうとしている。 4. その友情のため郁紀に近づくことになり、彼の狂気の世界の危険な様相に驚愕することとなる。

    ()中は原曲名を訳したもの。英訳したものも入れると全ての曲がSから始まる。 1. SCHIZOPHRENIA(統合失調症) 2. SABBATH(安息日) 3. SEEK(探索) 4. SPOOKY SCAPE(気味の悪い花茎) 5. SONG OF SAYA I(沙耶の唄1) 6. SONG OF SAYA II(沙耶の唄2) 7. SIN(罪) 8. SUNSET(日没) 9. SHAPESHIFT(変化) 10. SCARE SHADOW(恐怖の影) 11. SCREAM (叫び) 12. SAVAGE(野蛮人) 13. SILENT SORROW(静かな悲しみ) 14. 沙耶の唄(SONG OF SAYA) 15. ガラスのくつ(SHOES OF GLASS)

    「沙耶の唄」

    1. 作詞・作曲 - 江幡育子 / 編曲 - 磯江俊道 / 歌 - いとうかなこ

    「ガラスのくつ」

    1. 作詞・歌 - いとうかなこ / 作曲・編曲 - 村上正芳

    製作総指揮 - でじたろう
    キャラクターデザイン・原画 - 中央東口
    シナリオ・スクリプト - 虚淵玄
    2Dグラフィックディレクション - なまにくATK
    沙耶の唄オリジナルサウンドトラック
    沙耶の唄&天使ノ二挺拳銃Official Works
    星海社FICTIONS 沙耶の唄(ノベライズ)
    エンディング曲の1つである「ガラスのくつ」は元々本作のために作曲された楽曲ではなく、ZIZZ STUDIOが作曲したオリジナル曲の中から虚淵玄が目を付け、使用許可をもらったという経緯がある。
    海外のIDWパブリッシング社による漫画版が刊行されている。
    本作のシナリオを担当した虚淵が後に脚本を担当したテレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』がヒットした際には、本作についても再評価されて注目が集まり、新作ゲーム1本分程度の売り上げがあったという。

    1. 沙耶がプレイアブルキャラクターとして登場。

    1. 沙耶がプレイアブルキャラクターとして登場。

    製品概要(旧版) / 製品概要(廉価版) / 製品概要(Win10対応版)
    ゲーム公式(旧) - 2020年末まではAdobe Flashで作成されており、正常な世界と異常な世界を切り替える仕掛けがあった。2021年2月現在、旧版の仕様等の簡単な紹介のみがなされている。
    沙耶の唄 - ビジュアルノベル・データベース
  9. ザック・カオ - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › ザック・カオ
    • 音楽作品
    • 出演作品
    • 外部リンク

    アルバム

    1. 2008年7月19日:『真心唱歌』(CD+DVD)

    未収録の歌曲

    1. 性在有心 2. 偶然遇上的驚喜 3. 孩子們、不要睡! 4. 承諾(数々アーティスト合唱) 5. 雪中送暖(数々アーティスト合唱) 6. 抱抱團聚(数々アーティスト合唱) 7. 愛在香港(数々アーティスト合唱) 8. 奧運北京(北京オリンピック08主題歌;数々アーティスト合唱) 9. 光輝的印記(TVBアーティスト合唱) 10. 大節日(SNAZZアーティスト合唱) 11. 智激校園(司徒瑞祈、余天欣と共に合唱) 12. 勇者(TVBドラマ『學警雄心』主題歌;郭力行、ロン・ン、Skyと共に合唱) 13. I Wanna Love You(TVBドラマ『學警雄心』エンディング曲)(彭嘉麗と共に合唱) 14. IQ,CQ,EQ(翟兆麟、鄭世豪、杜港と共に合唱) 15. 為寂寞拍拖(パーシー・ファンと共に合唱;アルバム『少女大帝』を収録) 16. 愛我媽(童謡アルバム『Bear label vol.1』を収録) 17. 義出必行(SNAZZアーティスト合唱)(アルバム『Bear label vol.1』と『Just Go』を収録) 18. 聖誕新年Family(SNAZZアーティ...

    作曲提供

    1. ルイス・クー- Mr. Cool 2. フローレンス・リン- 得你如此珍惜我 3. パーシー・ファン- 你的小天使 4. ザック・カオ - 真心唱歌、時間停頓、愛妳也愛祂、忘記背後、相戀有罪、性在有心、愛我媽 5. ザック・カオ/パーシー・ファン/バリー・イップ/裕美/エンジェル・ホー/タット・ディック/ウィンキー・ラウ- 義出必行 6. ザック・カオ/EO2/裕美/ヴァンジー・タン/エンジェル・ホー/ウィンキー・ラウ/黄子菲/黄麗虹/リョン・ホーイン- 聖誕新年Family 7. 裕美 - 水果大聯盟

    インターネットドラマ

    1. 2003年 『一起喝采』(Now.com)

    舞台

    1. 2004年 『再起舞』 2. 2005年 『唯獨你是王』 3. 2006年 『唯獨你是王』 4. 2007年 『留著愛』 5. 2007年 『方舟東遊記』 6. 2008年 『改造情人』 7. 2008年 『尋…謎』 8. 2008年 『野玫瑰之戀』

    映画

    1. 2002年 『真心話』 2. 2002年 『流氓師表』 3. 2003年 『双雄』 4. 2003年 『インファナル・アフェアIII 終極無間』 5. 2003年 『星夢情真』 6. 2003年 『ジェイ・チョウを探して』 7. 2004年 『マジック・キッチン』 8. 2004年 『爆裂都市』 9. 2005年 『香港国際警察/NEW POLICE STORY』 10. 2005年 『天地孩兒』 11. 2007年 『真的戀愛了?』 12. 2008年 『十分鍾情』 13. 不詳 『草原上的女兒』

    (中国語) ザック・カオ香港公式ファンクラブ
    (中国語) Zac Universe
    (中国語) 聽正會國際歌迷會論壇
    (中国語) ザック・カオのXangaサイト
  10. 綾辻行人 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 綾辻行人
    • 経歴
    • 作風
    • エピソード
    • 関連人物
    • 文学賞受賞・候補歴
    • ミステリー・ランキング
    • 文学賞選考委員
    • 作品リスト
    • メディア・ミックス
    • 海外への翻訳

    小学校6年生の夏休みに初期習作の『少年探偵団』のような短編推理小説を10篇書いた。 1979年に京都府立桂高等学校を卒業後、京都大学教育学部に入学。京大推理小説研究会に所属した。研究会の同期には後に結婚する小野不由美がおり、作家となる我孫子武丸や法月綸太郎も所属していた。大学4年生の冬に江戸川乱歩賞に、後の『十角館の殺人』の原型の作品で応募し、第1次選考に残った。 1982年、同大学大学院教育学研究科に進学、逸脱行動論を専攻する。1986年に小野不由美と結婚。翌年、在学中に『十角館の殺人』で作家デビューする。講談社ノベルス編集部が「新本格ミステリー」と名付ける。大学院の修士課程を2年間で修了し、さらに博士後期課程に進み3年間在籍したものの、その後3年にわたって休学し、博士論文を書かずに単位取得退学している。1992年3月、専業作家となる。同年『時計館の殺人』で日本推理作家協会賞長編部門を受賞した。 代表作である「館シリーズ」の累計発行部数は2012年2月時点で409万部を超える。

    物理トリックよりも叙述トリックを得意とし、多くの作品にストーリーの構図を大きく転換させるどんでん返しが見られる。
    ホラーや幻想文学の影響が色濃く、ミステリーだけではなくホラー作品を多く著している他、本領のミステリー作品においても心象描写の多い叙情的な文体を用いる。
    ペンネームを考案したのはデビュー作『十角館の殺人』の推薦文を書いた島田荘司。本来“辻”の“しんにょう”の点は1つで、姓名判断上、完璧な画数であったが、綾辻が点2つにした。
    「館シリーズ」の探偵役である島田潔の名前は、島田荘司とその作品に登場する名探偵、御手洗潔を合わせたものである。この命名について綾辻は「こんなに長く続くシリーズになるとわかっていたら、もっとちゃんと考えてつけたのに」と述べている。
    エッセイなどで語っているが、かなりのゲーム好きである。
    宮部みゆき − 生年月日・デビュー年月が同じミステリー作家。また第45回日本推理作家協会賞で長編部門を同時受賞するなど、同じミステリー作家として交流がある。
    辻村深月 − 小学生の頃から綾辻作品の大ファンであり、大学時代には連絡先を教えあい交流がある。ペンネームの「辻」も綾辻から取った。メフィスト賞受賞は、綾辻が、打ち合わせの編集者に聞いて了解を得て携帯電話で連絡した。
    1990年 - 『霧越邸殺人事件』で第12回吉川英治文学新人賞候補
    1991年 - 『時計館の殺人』で第13回吉川英治文学新人賞候補、『霧越邸殺人事件』で第44回日本推理作家協会賞(長編部門)候補
    1992年 - 『時計館の殺人』で第45回日本推理作家協会賞(長編部門)受賞
    2005年 - 『暗黒館の殺人』で第5回本格ミステリ大賞候補

    週刊文春ミステリーベスト10

    1. 1987年 - 『十角館の殺人』8位 2. 1990年 - 『霧越邸殺人事件』1位 3. 1991年 - 『時計館の殺人』4位 4. 1999年 - 『どんどん橋、落ちた』18位 5. 2004年 - 『暗黒館の殺人』3位 6. 2009年 - 『Another』4位 7. 2012年 - 『奇面館の殺人』7位

    このミステリーがすごい!

    1. 1988年 - 『迷路館の殺人』7位 2. 1991年 - 『霧越邸殺人事件』7位 3. 1992年 - 『時計館の殺人』11位 4. 2005年 - 『暗黒館の殺人』7位 5. 2010年 - 『Another』3位 6. 2013年 - 『奇面館の殺人』9位

    本格ミステリ・ベスト10

    1. 2000年 - 『どんどん橋、落ちた』3位 2. 2005年 - 『暗黒館の殺人』2位 3. 2010年 - 『Another』3位 4. 2013年 - 『奇面館の殺人』3位

    数々のミステリー系文学賞の選考委員を歴任している。 1. 鮎川哲也賞:1997年(第8回) - 1999年(第10回) 2. 横溝正史ミステリ大賞:1997年(第17回) - 2013年(第33回) 2.1. 横溝正史ミステリ&ホラー大賞:2019年(第39回) - 3. 創元推理短編賞:2000年(第7回) - 2003年(第10回) 4. ホラーサスペンス大賞:2004年(第5回) - 2005年(第6回) 5. 江戸川乱歩賞:2004年(第50回) - 2007年(第53回)、2020年(第66回) - 6. ミステリーズ!新人賞:2004年(第1回) - 2008年(第5回) 7. 小説推理新人賞:2008年(第30回) - 2010年(第32回) 8. 日本ミステリー文学大賞新人賞:2009年(第13回) - 2012年(第16回)、2015年(第19回) - 2018年(第22回) 9. 日本ホラー小説大賞:2014年(第21回) - 2018年(第25回)

    アンソロジー(収録)

    「」内が綾辻行人の作品 1. 日本ベストミステリー「珠玉集」 中(1992年7月 光文社カッパ・ノベルス)「四〇九号室の患者」 1.1. 【改題】秘密コレクション 日本ベストミステリー選集23(1996年7月 光文社文庫) 2. ミステリーの愉しみ5 奇想の復活(1992年8月 立風書房)「どんどん橋、落ちた」 3. 亀裂(1993年7月 角川ホラー文庫)「再生」 4. 見知らぬ私(1994年7月 角川ホラー文庫)「バースデー・プレゼント」 5. 「傑作推理(ベスト・オブ・ベスト)」大全集 上(1995年6月 光文社カッパ・ノベルス)「赤いマント」 5.1. 【改題】仮面のレクイエム 日本のベストミステリー選集25(1998年6月 光文社文庫) 6. 短編で読む 推理傑作選50 下(1995年11月 光文社)「どんどん橋、落ちた」 7. 幻想ミッドナイト 日常を破壊する恐怖の断片(1997年10月 カドカワ・エンタテインメント)「四〇九号室の患者」 8. 最新「珠玉推理(ベスト・オブ・ベスト)」大全 中(1998年9月 光文社カッパ・ノベルス)「特別料理」 8.1. 【改題】怪し...

    アンソロジー(編纂)

    1. 綾辻行人が選ぶ!楳図かずお怪奇幻想館(2000年11月 ちくま文庫) 2. 贈る物語Mystery(2002年11月 / 2006年10月 光文社文庫) 3. 綾辻行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー1(2008年7月 講談社) 4. 綾辻行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー2(2009年11月 講談社) 5. 綾辻行人と有栖川有栖のミステリ・ジョッキー3(2012年4月 講談社) 6. スペシャル・ブレンド・ミステリー 謎009(2014年9月 講談社文庫) 7. 連城三紀彦レジェンド 傑作ミステリー集(2014年11月 講談社文庫) 8. 連城三紀彦レジェンド2 傑作ミステリー集(2017年9月 講談社文庫)

    エッセイ・対談他

    1. 本格ミステリー館にて(1992年10月 森田塾出版 / 1997年12月 角川文庫) - 共著:島田荘司 2. セッション 綾辻行人対談集(1996年11月 集英社 / 1999年11月 集英社文庫) 3. アヤツジ・ユキト1987-1995(1996年5月 講談社、1999年6月 講談社文庫 / 2007年8月 講談社) 4. アヤツジ・ユキト1996-2000(2007年8月 講談社) 5. アヤツジ・ユキト2001-2006(2007年8月 講談社) 6. ナゴム、ホラーライフ 怖い映画のススメ(2009年6月 メディアファクトリー幽ブックス) - 共著:牧野修 7. アヤツジ・ユキト2007-2013(2014年8月 講談社) 8. シークレット 綾辻行人ミステリ対談集 in 京都(2020年9月 光文社)

    テレビドラマ

    日本テレビ系 1. 1.1. 火曜サスペンス劇場 1.1.1. 湖畔の館殺人事件(1993年3月23日、主演:高樹沙耶、原作:霧越邸殺人事件) テレビ朝日系 1. 1.1. 土曜ワイド劇場 1.1.1. 「月蝕の館」殺人事件(1996年8月17日、主演:佐野史郎、原作:鳴風荘事件) 1.2. 幻想ミッドナイト 1.2.1. 四〇九号室の患者(1997年11月29日、主演:伊藤洋三郎) 1.3. 安楽椅子探偵シリーズ(朝日放送、1999年10月1日 - 2008年10月10日、2017年1月6日)

    テレビアニメ

    1. Another(2012年1月9日 - 3月26日、全12話)

    映画

    1. Another(2012年8月4日公開、配給:東宝、監督:古澤健、主演:山﨑賢人)

    中国(簡化字)

    1. 館シリーズ 1.1. 十角馆杀人预告(2004年4月、珠海出版社)- 十角館の殺人 1.2. 水车馆幻影(2004年4月、珠海出版社)- 水車館の殺人 1.3. 迷宫馆的诱惑(2004年4月、珠海出版社)- 迷路館の殺人 1.4. 偶人馆之谜(2004年4月、珠海出版社)- 人形館の殺人 1.5. 钟表馆幽灵(2004年4月、珠海出版社)- 時計館の殺人 1.6. 黑猫馆手记(2004年4月、珠海出版社)- 黒猫館の殺人 1.7. 黑暗馆不死传说(2005年10月、珠海出版社)- 暗黒館の殺人 1. 囁きシリーズ 1.1. 绯色杀人耳语(刊行予定、吉林出版集团有限责任公司)- 緋色の囁き 1.2. 黑暗杀人耳语(刊行予定、吉林出版集团有限责任公司)- 暗闇の囁き 1.3. 黄昏杀人耳语(刊行予定、吉林出版集团有限责任公司)- 黄昏の囁き 2. 殺人方程式シリーズ 2.1. 肢解尸体之谜(2010年5月、珠海出版社)- 殺人方程式 切断された死体の問題 2.2. 尸体长发之谜(2010年5月、珠海出版社)- 鳴風荘事件 殺人方程式II 3. 殺人鬼シリーズ 3.1. 杀人鬼(...

    欧米(英語)

    1. The Decagon House Murders(2015年6月、Locked Room International、訳者:Ho-Ling Wong)- 十角館の殺人